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「闇の秘宝」初期再録集2に再録(初出は2011,5,4発行)
密かに夕鈴につけていた護衛、隠密の浩大がいなくなる
状況を怪しんだ珀黎翔は夕鈴を後宮にとどめようとするが・・・
闇の秘宝

******

 ここは白陽国。冷酷非情、戦場の鬼神とうたわれる若き王珀黎翔が治める国である。そのたった一人の妃である夕鈴は後宮の女主人として女官たちに取り囲まれつつ日々を過ごしていた。
 しかし夕鈴は本物の妃ではない。外戚の存在を嫌った珀黎翔とその側近である李順によって雇われた臨時花嫁。持ち込まれる縁談を退けるためのバイトである。そして珀黎翔のもう一つの姿、小犬陛下を知る数少ない一人でもあった。
 執務室にまで伴うほどの寵愛だと宮中で噂される夕鈴は今日もどきどきしながら珀黎翔の執務姿を眺めていた。
 「……城下の治安整備についての報告を」
 広い執務室に珀黎翔の声が響く。その鋭い口調とまなざし。宮中の官吏や貴族でさえ、珀黎翔を狼陛下と恐れるのも無理はないと思う。
 差し出された巻物を手にとって中を確かめる珀黎翔の横顔は恐ろしいと噂されつつも宮中の女官たちの心を捕らえて離さない端麗なものだった。
 執務が一区切りついて官吏たちがぞろぞろと執務室を出ていく。部屋に珀黎翔と李順だけが残るのを待ちかねて夕鈴は席を立った。
 「陛下」
 「うん?。どうかしたか、我が妃よ」
 「……っ」
 まだ狼陛下の演技中だと思って夕鈴は心臓の高鳴りを押さえようと胸に手を当てた。怖くて、しかし見とれてしまう珀黎翔の端正な美貌。
 ここは後宮ではないしいつ官吏が戻ってくるかわからない。珀黎翔はずっと狼陛下の演技を続けるのだろう。だったら早いところ自分の用件をすませてしまった方がいい。
 「あの、氾紅珠さんにお茶に誘われていて……お昼過ぎになると思うのですけれど出かけてもよろしいでしょうか?」
 「……昼過ぎか」
 珀黎翔はわずかに考え込んだ。
 「お茶ということは夜には戻るな?」
 「ええ」
 夕鈴はうなずく。名門氾家の姫である氾紅珠はいくつか私邸を持っているが、その一つでお茶にお呼ばれしたのだった。
 「そうだな。氾紅珠なら間違いもあるまいが……気をつけて行っておいで」
 「はい」
 夕鈴はうなずいた。基本的には自分の仕事は珀黎翔の妃を演じることなのだから、このようなお茶のお誘いは断ってもいいのだが、氾家とはうまくやっていくようにとあらかじめ李順からも厳命されている。実際二人の会話を聞いている李順はなにも口を挟まなかった。
 「ただ、行くのは明日にしてもらおうかな?」
 「……明日?」
 「今日は少し曇ってきたし。明日は天文部の話では晴天だということだ」
 それが本当の理由がわからなかったが、しかし確かに珀黎翔の言うとおり、日差しには少し雲がかかってきていた。
 許可をくれたのに一日先へと外出を延ばすその珀黎翔の本当の真意はわからなかったが、夕鈴はうなずいた。
 「わかりました。では氾紅珠さんにはそう伝えておきます」
 「そうしてくれ。今夜は私のために後宮で」
 「……っ!」
 自分の頬が見事なまでに赤くなったのを自覚しつつ、夕鈴はうなずいた。
 「わかりました。陛下。では後宮にてお待ちしております」
 「また後で……」
 手を振って珀黎翔は夕鈴が出ていくのを見送る。
 李順はなにも言わなかったが、ややあって珀黎翔がつぶやいた。
 「浩大」
 李順と珀黎翔しかいなかった部屋の真ん中に不意に人の姿が飛び降りてくる。
 「お側に」
 浩大は珀黎翔に仕える隠密だった。長きに渡る珀黎翔の任を無事に果たし、王都へ帰還したこの有能な隠密は、新たに珀黎翔から密かに夕鈴の護衛をと命じられていた。
 「聞いていたか?」
 浩大はつぶらな瞳を一度瞬いた。
 「お妃ちゃんのこと?」
 「そうだ」
 浩大は首を傾げる。にっこりと笑った。
 「ついていけってことですよね?」
 珀黎翔は声に冷たい色をにじませる。あの狼陛下の震え上がるような声音だった。
 「いや、その前に裏がないか氾家を探れ」
 李順が驚いたように珀黎翔へ視線を送る。
 「陛下」
 「それは……さすがにないんじゃないスか?」
 浩大は過保護だなという表情を隠しもせずに答えた。
 「いくら氾さんだってこんなあからさまにお妃ちゃんをどうこうしようなんてしないでしょう」
 「氾史晴はしないだろうな」
 珀黎翔は同意する。
 「だが、氾家もそこそこ敵の多い家だ」
 「あーわかります」
 浩大はうなずいた。
 「あそこの家、警備の厚さが尋常じゃないし」
 「だから、氾家を追い落としたい者にとっては氾家のエリアで妃に何事か起こせばいいということになる」
 珀黎翔の言葉に浩大はうなずいた。
 「なあるほど……わかりました。ちょっと探ってきます」
 浩大はにこりとする。そしてひらりとまた窓へと飛び上がった。そのまま屋根の上へと出ていったのだろう。
 浩大の行方を見送り、李順が口を開いた。
 「陛下のご心配は杞憂かとも思いますが」
 李順の言葉に珀黎翔は唇を引き結んだ。
 「杞憂だといいが、万全を期すにこしたことはないだろう」
 「ならば夕鈴殿の外出をお止めになられては?」
 李順はいぶかしげにそう言葉を続けた。
 「そうもいくまい?。夕鈴を後宮に囲っておきたいのは確かだが、行動を束縛するのは避けたいのだ」
 「……陛下。妃に甘い王だと思われますよ」
 「人情味が増すというものではないか?」
 珀黎翔はそう笑って見せたが、その笑顔はひんやりと空気を凍らせるほどの力があった。李順は珀黎翔の言葉には異議があるといった表情を見せたものの、あえて言葉にはせずに引き下がったのだった。

   *******

 翌日。夕鈴は珀黎翔の執務室で執務が終わるのを待っていた。いつものぴりぴりとした空気が張りつめている。
 (なんかいつもにも増して陛下が怖いかも)
 夕鈴はびくびくとしながら珀黎翔の決済が進むのを見ていた。理不尽な怒りも不条理な叱責もない。それなのに珀黎翔が怖く感じられるのは、そのまなざしの冷ややかさにあるのだろう。
 「では、これで朝の執務は終了する」
 そう珀黎翔が告げたのは精力的に執務をこなし時刻もそろそろ昼にさしかかる頃だった。力を使い果たした様子で官吏たちが執務室をぞろぞろと出ていく。
 執務室に残ったのは李順と夕鈴だけだった。
 「あの、陛下。では私も一度後宮に下がらせていただきます」
 夕鈴はそう言ってやはり多少疲労感を感じつつ席を立つ。
 「お疲れさま夕鈴」
 にこっとした珀黎翔はあの執務室ではなかなか見ることのできない小犬陛下だった。
 「今日は執務が長くてごめんね」
 「あ、すみません。大丈夫です」
 珀黎翔に気を使わせてしまった。夕鈴はあわてて首を振る。
 「陛下の方が私の何倍もお疲れですよ。陛下もゆっくり休んでくださいね。夜には後宮に戻って陛下をお待ちしておりますので」
 「ああ、その件なんだけれど」
 珀黎翔は思い出した様子で椅子に背を預けたまま夕鈴を見上げた。 
 「氾紅珠の私邸へ行く件なんだけれど」
 「はい?」
 「今日はちょっと日延べしてもらってもいい?」
 「……?」
 夕鈴は思わず窓の外を見た。明るい日差しがさんさんと照りつけている。
 「今日……晴れてますよね?」
 「うん」
 ちょっと申し訳なさそうに夕鈴に珀黎翔はうなずいて見せた。
 「どうしてですか?」
 「ちょっとね。ずっとじゃないと思うけれど」
 「……でも、もう氾紅珠さんに行くって言ってしまったのに?」
 「それもごめんね。もう氾紅珠のところには使いをやって今日は行けないって伝えてある」
 その珀黎翔の言葉は、珀黎翔が今回の件について譲る気がないことをあからさまにするものだった。
 「……っ!。そんなの勝手すぎます!」
 もしも珀黎翔が狼陛下だったら、さすがに夕鈴も怖くてそんなことは言えなかっただろう。だが、今の珀黎翔は王宮では滅多に見せない小犬陛下だったし、何よりも珀黎翔には珍しい理不尽さに夕鈴は怒りに肩をふるわせた。
 「夕鈴……でもやっぱり今日は日延べして」
 「……帰ります!」
 夕鈴は床を踏みならすようにして執務室を出ていったのだった。
 夕鈴が出ていった後、執務室の中は静寂に包まれた。
 「夕鈴殿は……!」
 ようやく我に帰った様子で李順が口の中でうなる。本当はもっといろいろ言いたいこともあるのだろうが、何と言ってもこの場は王宮。どこから秘密が漏れるともしれぬ。
 「仮にもバイトの分際で」
 「いや本当に彼女は飽きないな」
 珀黎翔の方は夕鈴の振る舞いにもまったく怒りを覚えない様子でにこにことうなずいた。それはまだ小犬陛下の部分が多く占めていることを物語っていた。
 「しかし、陛下。昨日許可を出して置いて、今日はだめだと言っては夕鈴殿が怒るのもあながち間違いというわけではないでしょう」
 李順は珀黎翔へ視線を移す。
 「それなのに今日氾紅珠の元へ訪問を許さないというのはもしや……」
 「そうだ」
 珀黎翔の表情から先ほどまでの柔らかい雰囲気が一瞬でぬけ落ちた。
 「浩大が戻らぬ」
 「あの隠密がですか?」
 珀黎翔は表情をわずかに曇らせた。
 「あれで浩大は腕がいい。探りに行けと言えば、明日夕鈴が氾紅珠の元に行くことはわかっているのだから必ずや報告に戻ってくるはずだ。それが戻らないということは…」
 一瞬珀黎翔は言葉を止めた。
 「戻れないということだ」
 「敵に捕らわれた……とのご判断ですか、陛下」
 李順の言葉に珀黎翔はうなずく。李順は考え込みながら口を開いた。
 「他の手だれに浩大の後を追わせてみますか?」
 珀黎翔が抱える隠密はもちろん一人ではない。国王なのだから様々な部署を総括する立場である。
 「いや」
 珀黎翔は首を振った。
 「浩大は貴族たちとは全くつながりがないと確信できる数少ない隠密だからな。だから命じた。他の者は浩大を追えと命じただけでも情報が流れる危険がある。となれば、捕らわれているだろう浩大の命に関わることだ」
 「氾史晴が館に忍び込んだ隠密を捕らえた可能性はありましょうか?」
 「いや」
 珀黎翔は再び首を振った。
 「氾史晴は今回の件は無関係だと思う。氾史晴にしてみれば夕鈴が氾紅珠と仲良くしているのは自分の力を見せつける一つの方法だ。歓迎こそすれ、拒否するいわれはない。そして氾史晴の館に浩大は何度か忍び込んでいる。むざむざ捕らわれるような真似はしないだろう」
 「ではやはり氾家を陥れようとして夕鈴殿に危害を加えようとたくらむやからの手に落ちたと?」
 珀黎翔は苦々しくうなずいた。
 「残念だが。ただ、隠密として捕まったとは思っていない。見てはならぬものを見た子供。おおかたそのあたりだろう。そして浩大であれば捕らわれただけなら自力で何とか脱出してくるはずだ」
 「確かに」
 その珀黎翔の言葉にはまったく異議がなかったので李順はうなずいた。
 「私も浩大についてはあまり心配しておりません」
 李順が言う。
 「一見子供に見えますし、最初から隠密と疑われなければうまく狼陛下とは無関係を装うだけの才覚もございましょう」
 「その通りだ」
 珀黎翔は息を吐き出した。
 「問題は……相手の思惑がわからない上に浩大がいない以上、夕鈴を氾紅珠の館へやるわけにはいかないということだ」
 「護衛がいないことが不安……ということですか?」
 「その通りだ」
 珀黎翔は李順の言葉を認めた。
 「もう少し様子を確かめてから誘いの水を向けるならいい。だがこちらの準備が整っていない時点で夕鈴に何かあったら困るのだ」
 「……氾大臣を敵視する勢力がないか探らせましょう」
 「氾史晴を敵視する者は多いと思うが、探りきれるか」
 珀黎翔の問いに李順は口元に笑みさえも浮かべた。
 「敵が多ければ多いほど動いた時の波紋からその存在が明らかになるもの。浩大は氾家を探りに行ったのですから手がかりはあります。お任せを」
 「…………」
 珀黎翔は黙ったままうなずいた。そして椅子から立ち上がる。
 「陛下はどちらへ?」
 「夕鈴のご機嫌伺いにだ」
 「陛下の熱愛がさらに宮中に噂として流れそうですな」
 「それこそ望むところだろう」
 「何事も程々がよろしいのですが」
 そうは言ったものの李順は珀黎翔を止めるつもりはないようで一緒に執務室を出ると右と左に道を分かれて行ったのである。

     ******

 夕鈴は珀黎翔と分かれて後宮に帰ると、女官を遠ざけて部屋にこもった。珀黎翔が現れたらちょっと具合が悪いのでまた後ほどお越しくださいと伝えるようにと言っておく。きっとまた女官たちは夕鈴が珀黎翔と喧嘩をしたと思うだろうが、それも仕方がない。
 「喧嘩……というわけじゃないわよね」
 夕鈴は一人口の中でつぶやいた。
 だいたい対等に喧嘩などできるはずもない。相手は国の最高権力者。至高の存在なのだ。
 そして夕鈴は臨時花嫁。
 「本当は……」
 独り言を言いかけて夕鈴は口を引き結んだ。
 本当はわかっている。珀黎翔が理由もなく理不尽に夕鈴の行動を制限したりはしないだろうことを。何か理由があるのだろうと思う。
 それなのにこんなに珀黎翔の振る舞いが夕鈴の怒りをあおった理由は夕鈴にはまだよくわからなかった。
 (何で……あんなにかっとしたんだろう?)
 夕鈴は心の中でつぶやく。
 (きっと理由は私のためなんだわ)
 珀黎翔は夕鈴を守るといった。それならば一度は許可を出してくれた氾紅珠私邸への訪問を延期させたのは夕鈴のためのはず。
 それもわかっていた。あの時珀黎翔が自分のために止めたのだとわかっていたのだ。それなのにどうして怒りがこみ上げてきたのか。
 「だって何も教えてくれないんだもの!」
 そう思わず声を上げ、そして夕鈴はわずかに目を見開いた。
 (私……)
 不意に夕鈴はどくんと胸が高鳴るのを感じた。
 (陛下が……私に何も言ってくれないのが嫌だったのかしら)
 そんなはずはない。それは臨時花嫁の職務を逸脱している。だが胸の鼓動はだんだん早くなり、珀黎翔が夕鈴に何も教えてくれないこと、それこそが夕鈴の怒りをあおったのだと否応なしに夕鈴に示した。
 「私……私は……」
 夕鈴は呆然と立ち尽くす。
 「陛下に……」
 珀黎翔の考えること。それはあまりに深くて時に何手も先を読んでいて、とても夕鈴には理解できないことがある。だが、それでも教えてほしいのだ。せめて自分が関係することぐらい。ただ何も知らせずに守られるだけの妃ではいたくない。それこそ臨時花嫁の職務を越えようとも、珀黎翔の味方でいたいし、その緊張を解きほぐし支えてあげたいのだ。
 「だめだわ」
 夕鈴は首を振った。珀黎翔を支えたい。そう思う端からできるはずがないという言葉が脳裏をよぎっていく。
 (こんなことでぐだぐだと悩んでいるのはよろしくないわ)
 夕鈴は首を振った。もしかすると珀黎翔が後宮に来てしまうかもしれない。あれで珀黎翔は結構まめな夫だった。夕鈴を怒らせたと思った時は多忙な執務の合間を縫ってわざわざ後宮まで訪れてくれたことを夕鈴は覚えている。
 「ちょっと買い物にでも行こう」
 夕鈴は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
 女官の姿をして後宮を抜け出せば夕鈴を狼陛下の寵愛著しい妃だと見抜く者はほとんどいない。ちょっと下町に出て買い物でもすれば気も紛れるだろう。
 ちょうど珀黎翔のためにいつも用意していたお茶の葉っぱが切れていた。後宮の出入りの職人に命じればすぐにも持ってくるだろうが、茶葉を自分で選ぶのもいいものだ。少しブレンドすることもできる。
珀黎翔にはお詫びの気持ちも込めて、のんびりとくつろげる成分をプラスしたお茶を買ってこよう。
 夕鈴はこっそりと妃の服を脱ぎ捨てた。隠してある女官の服を着込む。後宮は広い。人払いを命じると女官たちは夕鈴の意を汲んでこの近くには近づかない。
 外に買い物に出かけようとして夕鈴はふと思い出した。
 (危ない、危ない。危うく忘れて行ってしまうところだったわ)
 李順には勝手に後宮を出ないようにと命じられている。
妃として後宮をでる時はもちろん珀黎翔の許可が必要だが、王宮に使える下女を装ってでる時も黙って出かけないように指示されていた。
 ちょっと考えて夕鈴は筆入れから筆を手に取った。
夕鈴の居間は後宮唯一の妃の部屋でもあるので、紙も贅沢に用意されている。その紙に買い物に出かけることをしたためた。
 「これでいいわね」
 一度手紙を眺めて夕鈴はうなずいた。ふと思いついて紙を二つに畳み、その上に「陛下へ」と記す。
 女官が中を見たら妃が勝手に後宮を抜け出したと大問題になるだろう。それを避けるためだった。
後宮は狼陛下である珀黎翔の威光が隅々まで届いている。珀黎翔宛ての手紙の中を見る勇気のある女官はいまい。
 夕鈴はそっと部屋を抜け出したのだった。





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