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「うたかたの夢」初期再録集3(2013、1027発行予定)に再録(初出は2011,8,11)
珀黎翔×汀夕鈴
連れ去られた夕鈴を追って無事に助け出した珀黎翔
だが後宮に戻ってきた夕鈴に向けられた視線は・・・
何があろうと夕鈴は妃だと揺るがない珀黎翔だったが・・・
*******
「おとなしくしていろ!」
怒号とともに突き放され、夕鈴は床の上に倒れ込んだ。あたりは赤々と炎が燃え上がっている。まだこの奥まった場所までは燃え上がっていないが、程なく火が回るだろう。部屋から回廊を抜ければ庭先へと降りて逃げられる可能性はあるかもしれないが、すでに庭の木々にも火が回り始めているのが見える。炎に包まれた木がはじけて白い煙を噴き上げている。熱さに頬が焼けるようだ。もうこのまま命を落とすことになるのかもしれない。
「さすが珀黎翔……!」
夕鈴を引き倒した男が歯ぎしりをするようにうなり声をあげる。
「何という見事な采配だ。敵ながら天晴れ。だが、このまま終わりはせぬ。ここまではたどり着けまい。すでに館には火をかけた。珀黎翔!、お前の手になど落ちぬ!」
夕鈴はきっと顔を上げた。
自分を捕らえてこの館へとつれてきた男をにらみ据える。
「陛下は……!」
言いかけて流れ込んできた白い煙を吸ってしまった。夕鈴は言葉を続けられずにせき込む。
「陛下はあなたには負けないわ!」
「……その通りだ、夕鈴!」
炎が燃えあげるその不吉な音を貫いて聞こえたのは、あまりにも懐かしい声だった。
「……っ!。陛下!」
思わず夕鈴は声を上げる。炎を剣で切り開くようにして黒い影がオレンジ色を吹き上げる炎の中から現れた。
かろうじて服こそ戦装束だが、そのすゞやかな表情は微塵も今まで戦い抜いてこの場所に現れた気配を残さない。だが、その装束に飛び散った返り血の鮮やかさが、この場所に至るまでの珀黎翔の激闘を物語っていた。
「待たせたな、我が妃よ」
最初に珀黎翔が声をかけたのは夕鈴にだった。この張りつめた空気の中、珀黎翔は夕鈴にほほえみかける余裕さえあった。
「よく耐えた。すぐに連れ戻ってやる。しばし待て」
「……っ陛下」
ほっと安堵の思いに夕鈴はそれだけしか声を出すことができなかった。片手に実用的な長剣を握り、その場に立っているのは、微笑みを浮かべていてさえ間違いなく白陽国の狼陛下、戦場の鬼神とたとえられる珀黎翔そのものだった。
「珀黎翔……!」
歯の間から絞り出すような声で男がつぶやく。
「よくも……!」
男のまなざしはまっすぐに珀黎翔へと向けられ、もはや夕鈴のことは男の視界にさえ入っていなかった。ぎりぎりと歯をかみしめる形相で男は珀黎翔に一歩詰め寄る。
「妃を取り戻したければここへ来いと言ったな」
珀黎翔の端正な表情も、静かな声音も変わらなかった。
「お前は妃を取り戻しに来いと言ったな。求めに応じ、ここへ来た。我が妃は返してもらう」
言いおいて珀黎翔は顔を上げ、この部屋を押し包もうとする猛火へと視線を転じた。
「館に自ら火を放つとは愚かだな。王の後宮より妃を拐かし平和を乱した罪状は明らか。さらに己に従う家人をも巻き込んで死のうとは。領主としての責任を果たしたとはいえぬ。おまえの罪は重いぞ」
「…………」
男は答えない。珀黎翔は視線を男へと戻した。
「剣を捨て投降するか、それとも我が手にかかって責任をとるか二つに一つ、選ぶがいい」
「…………」
男は珀黎翔をにらみすえた。
「今更、投降などするはずもない!」
男はうなり声をあげた。
「死ね!」
言葉とともに男は珀黎翔に踊りかかる。だが、勝負は一瞬でついていた。きらめく白刃が真一文字に空を凪いだ。骨を断ち切る鈍い音。
声もなく男は剣を取り落とした。そして膝をつくとゆっくりと横倒しに倒れ込んだ。
あたりを燃えつくそうとする炎の音が不意に聞こえてくる。あまりの緊張感に燃え上がる炎の音さえ聞こえていなかったことに今さながらに夕鈴は気づいた。
珀黎翔が右手に剣を持ったまま、左手を夕鈴へと差し出す。
「夕鈴……!」
「……っ陛下!」
かろうじて答えて、しかし夕鈴は動けなかった。先ほどまでたった一人で己を拉致した男と対峙していられたのに、珀黎翔が迎えに来てくれた今、どうしてこんなに手も足もふるえだしてしまうのだろう。
「夕鈴……ごめんね」
不意に珀黎翔の気配が変わった。優しい口調。それは夕鈴に見せる小犬陛下のものだ。剣を一ふりして滴を拭い、鞘へと収めると、珀黎翔は迷いのない足取りで夕鈴の側に近寄ってきて抱き上げた。
「……っ陛下、あの……!」
「大丈夫。この庭先から逃げられるから、夕鈴はおとなしくしていてね」
そのまま倒れている男へ視線さえ向けず歩きだした珀黎翔は、低く聞こえてきた声に足を止めた。
「間に合ったつもりだろうが……残念だったな、狼陛下」
それは珀黎翔に致命傷を負わされた男のささやきだった。夕鈴は珀黎翔に抱きついたまま、呪詛の言葉をささやく男をみた。ちろちろを炎が床を這い、ついにこの室内をも飲み込もうとし始めた。もうもうと煙が立ち始め、奥の部屋から炎が吹き出し始める。すでに熱は耐えがたいものになっていた。
「さらわれた女は略奪者のものになる運命。おまえの妃はもう俺の……っ」
だが、男は最後まで言い切ることはできなかった。ついに炎に耐えかねた天井が火の粉を散らしながら落下してきたのだ。炎は男を飲み込み紅蓮の息吹を吹き上げた。
「陛下!。どこにいるんだよ!」
ふいに子供の声が庭先から響いた。
「浩大、ここだ」
身を翻した珀黎翔は夕鈴を抱き抱えたまま庭へと飛び降りる。
火の粉をまき散らしながら燃える立木の間で待っていたのは珀黎翔の子飼いの隠密、有能だと自他ともに認める浩大だった。一見子供のように見えるのに、その手に握られている小刀にはやはり血の鮮やかな色が残っている。
「こっち!、もうこの館はだめだよ!。早く逃げないと巻き込まれる」
「わかっている。皆の者は?」
走り出した浩大の後を軽々とついていきながら珀黎翔が尋ねる。
「陛下の脱出の指示に従って、みんな外に出た頃合いじゃないかな」
それならいいとうなずいて珀黎翔はもう黙り込んだまま木立の間を抜けていく。
不意にあたりが暗くなった。立木がはぜるように燃える音が小さくなる。炎の明るさよりも闇の暗さが増してきた。火事の中央部を脱出したのだ。
「陛下!、ご無事で!」
駆け寄ってきて膝をついたのはその装いからして軍の指揮官だった。
「被害は?」
夕鈴をそっと地の上におろし、だが片腕に夕鈴を抱き抱えたまま珀黎翔が鋭い口調で尋ねる。
「負傷者が少々。しかし死者はございません」
「そうか。……館の者はどうしたか?」
「下女は何名か救助しましたが、大方は煙に巻かれたか救助できませんでした」
「主が自ら火を放つとは思わなかっただろうからな。残念だが。……けが人には手当を。引き上げる」
「かしこまりました……お妃様におかれましては無事のご様子に安堵いたしました」
不意に指揮官が夕鈴へと視線を移した。
「奇襲でしたので女官は我が軍にはおりませんが、もう少し人里へ引き上げれば、後宮より参った女官がおりますので少々ご不便をおかげしますが後少しご容赦ください」
「……っ」
何か返事をしなければ、お礼を言わなければと思いながらも、夕鈴は声が出なかった。ふるえる手で珀黎翔の手をつかむ。珀黎翔の手が夕鈴を励ますようにその手を握りしめた。
「妃もその方らの働きには感謝している」
珀黎翔が言う。
「無事の救出は皆の力があればこそ」
「お言葉を賜りありがとうございます、陛下。ただいますぐに馬を……お妃様はいかがいたしますか?」
「大丈夫だ。ともに馬に乗せて連れ戻す」
「さすが、陛下のご寵愛深い姫だけのことはございますな」
感じいったように指揮官はうなずいた。
「ともに騎乗されるとは。深窓の姫君ではとてもこうは参りますまい」
「さもあろう。我が最愛の妃だ」
こんな時にも珀黎翔は夕鈴を寵愛していることを見せつける。
「これは、これは」
指揮官は破顔した。
「では、ただいますぐに」
そうとだけ告げて、指揮官は立ち上がり、一礼してその場を離れる。目が闇に慣れてくると少し離れた場所で珀黎翔と夕鈴を敬語しているのだろう。兵士があたりを取り囲んでいるのがわかる。
「……陛下、ありがとう……ございました」
ようやく息を吐けるようになった。夕鈴は珀黎翔にそうささやいた。
「夕鈴……本当に遅くなってごめんね」
狼陛下からするっと小犬陛下に気配が変わる。珀黎翔は夕鈴の手を握りしめ、肩を抱き寄せたままうなずいて見せた。
「そんな……陛下はすぐ来てくださいました」
「でも、一人きりで怖い目にあわせてしまった」
「……大丈夫です」
夕鈴は気丈にほほえんで見せた。痛ましげな表情で珀黎翔が夕鈴を見下ろす。
「夕鈴」
「私は大丈夫です」
夕鈴は繰り返した。
「だって、狼陛下の花嫁ですから」
「……そうだね」
珀黎翔はうなずいた。
「みんなにも助けにきてもらったのに……さっきはお礼も言えなくて」
「それは大丈夫。何しろ夕鈴は後宮の妃だからね。本来は軍部の下士官は顔も近しく見られない。今頃兵に自慢しているんじゃないかな」
珀黎翔はうなずいて見せた。
「さっきも夕鈴のことほめていただろう?。王宮の貴族や官僚とは違って、軍はまた違う価値観を持っているからね。あの下士官は夕鈴に好意を持ったと思うな」
「そう……でしょうか」
「そうだよ。……まあ残念ながら王宮の方はいろいろ言い出す奴らもいるとは思うけれどね」
珀黎翔は肩をすくめてみせる。
「何にしても……夕鈴が無事でよかった」
珀黎翔はさらりと言ったが、その声音には珀黎翔の思いがこもっていた。
「ご心配かけて……すみません」
「いや、夕鈴のせいじゃないから。それにね……僕は夕鈴が生きていてくれるだけでいいから」
あたりを兵に取り囲まれているというのに、珀黎翔はその目を気にすることもなく、夕鈴をふわりと抱きしめた。
何か今の珀黎翔の言葉には含みがあったような気がする。
だが、その含みを考える余裕はなかった。夕鈴は珀黎翔の力強い腕に抱きしめられた安心感と、他ならぬ珀黎翔に抱き寄せられていることに耳元まで赤くなる思いがして夕鈴は目を閉じた。
「うたかたの夢」初期再録集3に再録(初出は2011,8,11発行
珀黎翔×汀夕鈴
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