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「聖母の微笑み」初期再録集5に再録(2014,3,16東京コミックシティ発行
珀黎翔×汀夕鈴
珀黎翔が一人招かれた宴の件で
ぎくしゃくする二人
だが、夕鈴を思って
視察に一人で出かけた珀黎翔の留守に
思いもよらぬ事態が・・・

    ******

何か物が壁にぶつかる音がして、珀黎翔の命を受けようと控えていた女官たちははっと顔を上げた。
「あら…今のは…」
「何かお妃様が落とされたのかしら」
一人が首を傾げる。
ここは白陽国の王宮内にある後宮の一室だった。この後宮には若き王珀黎翔のたった一人の妃である夕鈴が住んでいる場所であり女官たちはみな夕鈴に仕えるために珀黎翔直々のお声掛かりで選ばれた者ばかりである。最愛の妃に対して仕掛けられた何回かの暗殺未遂、そして誘拐に珀黎翔が夕鈴の安全に心を砕いているあかしである。
身元のはっきりしない下級妃である夕鈴だが、その貴族には珍しいほどはっきりとした物言いと飾らない人柄と己に仕える女官たちを大事にする言動から本当に女官たちにも好かれていた。
何より珀黎翔が夕鈴を寵愛することは著しく、狼陛下と称される珀黎翔の怒りを買ってまで夕鈴に何かしようなどと考えるものは一人もいない。
再び何か物が砕ける音がした。
「やっぱり私、見て参りますわ」
一人の女官が立ち上がる。
「いいえ。これは行かない方がいいかも」
後宮では先に夕鈴に仕えていた女官がその後輩の手を引き留めた。
「でも…もしかすると暗殺者が忍んできたのかもしれませんわ」
「先ほど陛下がお渡りになったでしょう?。この国で陛下の剣の腕にかなうものなどおりませんし。もしかすると久しぶりのご夫婦喧嘩かもしれません」
「久しぶり…?」
「前にも一度ありました。大変お妃様がお怒りになって、あの陛下が何度も謝りにお越しになられたんですわよ」
「あ、それは私も聞いています」
新入りの女官はうなずいた。
「お妃様が里帰りしてしまわれて、その間王宮内は陛下の怒りを恐れて静まりかえっていたのだとか」
「いえ、私は氾紅珠様のお屋敷に出かけられたと聞いておりますわ」
別の女官が口を挟み、それを聞いた同朋はうんうんとうなずいている。
「なんにしても陛下とお妃様のお部屋で何か起こっているのでしたら行かないわけにはまいりませんよ」
割って入ったのは女官長だった。
本来正妃付きであるべき女官長だが、現在後宮には正妃がいない上、珀黎翔の寵愛がただ夕鈴一人に注がれているということ、さらには貢献として珀黎翔の腹心である李順がついていることから女官長もまた夕鈴付きも同様の立場で後宮を取り仕切っている。
「あなた、行ってご用がないか伺っていらっしゃい」
女官長の言葉に心得て女官が立ち上がる。
「ですが、もしもご夫婦の喧嘩でいらした場合は…」
「その場合はどうすればよろしいのですか?」
「もちろん陛下のご意志が最優先です。入れとおっしゃったら入ってご用を伺い、下がれと言われたらそのままお下がりなさい」
「もしもお妃様が泣いていらしたらどうしますか?」
「どうでしょう」
女官長は口元に笑みを浮かべた。
「私が見ますところ、あのお妃様は泣いたりなどなさらないと思いますが。どちらかと言えば、陛下は宥める一方でしょうね」
「わかりました」
女官長の言葉にうなずいて女官は部屋を出る。一度は収まったかに見えた物音はまた散発的に続いていたが夕鈴の居間に近づくに連れて声も聞こえてきた。話の内容は聞き取れないが夕鈴の声の合間合間に珀黎翔の宥めるような声が聞こえる。
(やっぱり夫婦喧嘩でいらっしゃるのかしら)
そう思いながら女官は部屋の入り口より少し外で声をかけた。
「陛下、何かご用でございますか?」
何一つ聞こえてない素振りでそう尋ねる。
「いや、何でもない。下がれ」
「かしこまりました」
やはり夫婦喧嘩かとにこやかにうなずいて女官は引き上げていった。
一方部屋の中では女官の想像通りの状況が繰り広げられていた。
「いや、本当にごめん。でも、誤解だから」
こういう時に珀黎翔はとことん低姿勢である。自分に非があろうとなかろうと夕鈴が怒っている時はまず謝ってみせるあたり珀黎翔の懐の大きさでもある。
一方夕鈴の方はまだ怒っていた。何しろ朝の執務についていった時に執務官を経由して珀黎翔が前夜の宴で女の人といちゃついていたと聞かされてにっこりそうですかとうなずいてみせるほど腹は座っていない。
何しろ夕鈴は本物の妃ではないのだ。妃を通じてその実家に当たる貴族が権勢を持つことを嫌った珀黎翔の意を受けて李順がやとった臨時花嫁である。
本物の妃ではないので珀黎翔が女の人といちゃついていたからといって何をいえる立場でもないと、ここに李順がいれば眼鏡を押し上げながら冷たく言い捨てたところだろうがここに李順はいなかった。
「知りません!。陛下なんて!。プロ妃は陛下が女の人といちゃついているのも笑顔でにっこりしてみせるのが仕事なのか、怒りまくるのが仕事なのか、私だってわからないんです!」
「いや、それは怒っていいところだから」
こう言って火に油を注いでいると思わなくもないが、珀黎翔は真顔でうなずいて見せた。
「何ですって!」
「だって…夕鈴が怒っているのは本当に誤解なんだけれど、僕たちは少なくとも今現在は夫婦なんだからさ。夫が他の女と関係を持ったと思ったら怒っていいと思うよ」
「…」
珀黎翔のその言葉に夕鈴は真っ赤になった。確かにそうかもしれないが、でもやっぱり少し違う気もする。
だいたい夕鈴は珀黎翔の妻と名乗れる立場ではないのだ。怒っていいというのは当たらないはずで、そうなるとなんで自分が怒っているのかわからなくなってくる。
話は前日にさかのぼる。
その日は氾家主催の宴が催される日だった。王家が主導する行事がらみの宴とは違い、宮中の四季折々にちなんで王宮内に部屋を与えられている大機族が王の心を慰めるべく宴を催すことは月に何度も行われる。ある意味この宴は貴族としての権勢を誇るものでもあるので、王の臨席を賜ることは大変貴族にとっても意味のあることなのだ。
今回の主催は柳家長男によるものだった。当初参加しないと言っていた珀黎翔だったが、氾大臣の懇願を受けて渋々ながら出席することになったのだ。なぜここに氾史晴の名が出てくるかと言えば、それは柳家の複雑な家庭状況に理由があった。何しろ柳方淵が珀黎翔に重用されていることは知られており、その長男がどうやら春の宴でお妃である夕鈴の乗る花かごになにやらたくらんだというのは内々の噂になっている。氾家としては柳家の権勢が落ちるのは願ったりかなったりだろうが、ここで恩を売っておくのもいいと考えたのだろう。
春の宴における夕鈴の花かごの件については珀黎翔もいささか含むところがあり、柳家長男に一言直接言ってやろうという気持ちもあって出席を承諾したのである。
その件はもちろん李順を通じて夕鈴には話が通っていた。ところがいざ宴に出てみると珀黎翔の周りを固めていたのは舞や楽を奏でる者、給仕をする者さえも女性だったのだ。実際には柳家長男が現れるや否や一言を言い捨ててさっさと珀黎翔は引き上げたのだが、実際に雅な宴でもあったし女で埋め尽くされた宴の物珍しさもあって、珀黎翔が女性のみで埋め尽くされた宴に出席し宮中の花を愛でたという話は一日にして宮中に知れ渡ったのである。
実際には狼陛下全開の珀黎翔の不機嫌な表情と底冷えがするようなその言葉に柳家長男は震え上がったのだが、それはもちろん伝えられていなかった。
「もう…私は怒っているんですよ、陛下」
少し落ち着いて夕鈴が言う。頃合いかなと見て珀黎翔が夕鈴に近寄り、そっと抱き寄せても今度はものは飛んでこなかった。
「うん。だからごめんね」
珀黎翔の腕の力強さ。いざとなれば自ら長剣を振るい、敵を倒すことができる強靱な腕。その胸の中に抱き込まれてしまえば夕鈴の怒りも収まっていく。咳払いがして夕鈴は顔を上げた。
「そろそろお話の方も終わりましたか」
そういって眼鏡を押し上げたのは李順だった。
「あっ!。いいえ違います」
今の今までこの部屋に自分たち以外の人間がいるとは思いもしなかった夕鈴は目を見開いて珀黎翔から飛び離れようとしたがそれは珀黎翔が許さなかった。
いっそう力を込めて夕鈴を胸の中に囲い込みながら珀黎翔は鷹揚に李順にうなずいて見せた。
「どうやら我が妃のご機嫌を無事に取り結べたようだからな。何か用か、李順」
「もちろん用があって参ったのですが」
狼陛下の口調の珀黎翔に言い返せる者はそうはいない。もっとも今の珀黎翔はどちらかと言えば機嫌がいい狼であり、長いつきあいの李順がそれを見抜いていたのは間違いないところだった。
「陛下、夫婦喧嘩も時期を選んでやっていただかないと困ります。喧嘩をするほどお二人の仲がいいとアピールすることにはなりましょうが、ちょうどこの後宮中を空けるのですから、普段から陛下の足をすくいたいと思っている者たちに付け入ることになるのでは?」
「夫婦喧嘩などではないが…」
そう答えながら珀黎翔は不承不承といった表情で夕鈴を手放した。
慌てて服の裾を直しつつ夕鈴は珀黎翔から離れる。そうしていつも部屋に用意してある茶器の方へと近寄った。お茶を入れ始める。
「どうぞ陛下、李順さんも座ってください。…どこかに視察に行かれるんですか?」
夕鈴の言葉に従って後宮の夕鈴の居間の定位置である長椅子に腰を下ろしながら珀黎翔はうなずいた。
「そうなんだ、ちょっと遠いんだけれど北の地方の視察に行く」
お茶の暖かな香りが部屋に漂い始める。夕鈴は茶器にお茶を注ぎ、珀黎翔へと差し出した。
「この時期は寒いですし、もしかすると雪が…?」
王宮の位置は王国でも南の方に位置し、大雪が降るということはあまりない。だが北の方には人の背の高さほども雪が積もるということを夕鈴も学んでいた。
「ええ、降っているでしょうね」
続いて差し出された茶器を遠慮なく受け取りながら李順は渋い表情でうなずいた。
「しかし、陛下の政策がちゃんと行われているかどうか、狼陛下が直接に視察に行かれるというのは国内で大きな意味を持ちますし、陛下のスケジュールはなかなか動かせないのでこの時期になりました」
「それは…もしかすると私もお供することになるんですか?」
ふと思い当たって夕鈴は尋ねた。後宮の妃であり珀黎翔が寵愛を注ぐたった一人の妃とは言え、夕鈴は身元もはっきりしない下級妃である。夕鈴を見初めた珀黎翔が己の重臣である李順に命じ、現在は李順が後見をつとめているという設定になっている。
本来は後宮で何も考えず、何も見ず、ただ王に愛されるだけの花。ところが夕鈴の臨時花嫁期間が長引くに従って夕鈴が後宮のたった一人の妃として王とともに外国の使節の接待の宴に出たり、宮中で妃が行わなければならない行事を執り行ったりする場面も出てきた。
今回珀黎翔と李順が後宮にやってきたのはそのためかもしれないと夕鈴は思ったのだ。
「いや、それはありません」
李順は肩をすくめた。
「本当のところは、寒い地方ではありますが陛下のたった一人の妃でもありますし、私はいっそ夕鈴殿に一緒に行ってもらってもいいのではと陛下に奏上したのですがね」
「それもいいかなとは思ったんだけれど」
珀黎翔は茶器を椅子の傍らの小卓の上においた。
「でもこの時期の北の地方は本当に寒いんだよ。それにいろいろ行事も続いていただろう?。だから夕鈴には暖かな後宮でしばらくのんびりしてもらっておこうと思ったんだ」
「わかりました」
珀黎翔と一緒にいられるのなら寒くてもかまわないと思ったもののそれは臨時花嫁の立場を越えているだろう。夕鈴はうなずいた。
「ここのところは宮中も落ち着いているし、いきなり何か激変することはないはずだ。ちょっと離れているからすぐに戻ってくるというわけにはいかないけれどのんびり過ごしていてね」
「はい」
夕鈴はにっこりと笑って見せた。王の不在にも常と変わらず過ごすことも臨時花嫁の仕事の一つだと思う。
「それでは私は先に王宮の方へ戻らせていただきますので」
二人の話が一段落したと見て取ったのか李順が立ち上がる。
「ああ、そうそう夕鈴殿。例の宴の件は陛下は大変ご不快にあられてその場に居合わせた姫たちは狼陛下の恐ろしさに震え上がったそうですよ。その狼陛下の寵愛を一身に受けている夕鈴殿を尊敬するという声も聞こえたとか」
その言葉だけを言いおいて李順は出て行ってしまう。残された珀黎翔と夕鈴は顔を見合わせた。
「…いや、別に姫たちを脅かしたということはないんだけれどね」
少し困ったような口調で珀黎翔が夕鈴をのぞき込む。
「ええ、わかっていますわ。…陛下、どうぞ無事のお帰りをお待ちしております」
「…仕事に出かけて戻ってくると妃が待ってくれているというのはいいものだな」
するりと狼陛下に戻って珀黎翔がつぶやいた。
その深みのある声に夕鈴はびくっと身をふるわせる。響きのよい声は聞いているだけで身がすくむ。だが同時にどうしようもなく引きつけられるものを感じるのだ。
「夕鈴…」
「は…はい…!」
「私は…」
「陛下…!。今は私たちだけですから!演技はいりません!。陛下…」
無我夢中で夕鈴は珀黎翔を遮った。美貌で知られた生母ゆずりの端正な面差し。この顔を見ているだけで緊張する。ましてそれが狼陛下なら緊張だけではない。恐れられながらも誰もが珀黎翔に従おうとするのはその全身から放たれるカリスマ性ゆえなのだ。
「そうだね」
にっこりと珀黎翔はほほえんだ。
「確かに今は二人きりだね」
小犬陛下に戻ったというのにどうしてこう意地悪な笑顔なのだろう。
「夕鈴…」
李順が帰ったというのでお茶の替えをもって居間に入ろうとタイミングを伺っていた女官だったが、入ることはできないまま引き返した。王と妃の語らいを邪魔することができる者などそうはいなかったのである。

     ********

白陽国王宮から珀黎翔が視察に出かけても日々の業務は滞りなく進められている。若くして王位を継ぎ、乱れた国内をその強靱な意志をもって立て直した珀黎翔は政務においても改革を押し進め能力主義をもって知られていた。珀黎翔と腹心である李順が視察に出かけた後、王宮内の決済は宰相が代行することになる。後宮の妃である夕鈴に占いをする人だと怖がられている宰相の周康蓮(しゅうこうれん)は駆け込んできた執務官に顔を上げた。
「騒々しい」
まず一言文句をつける。
「陛下がいらしたらお怒りになるところだぞ」
珀黎翔は能力主義であり、何事にも着実かつ沈着冷静を重んじる。訳もなく騒ぎ立てるなど珀黎翔の執務中には許されないことだ。水を打ったように静かに執務は着々と進行するのが常である。
「あ、申し訳ありません」
慌てて執務官は謝った。しかしながらよほどの用事なのだろうと周康蓮は執務官に促した。
「用があるのなら手短に。陛下がいない間はある程度の職務は私が代行することになっている」
「…いえ、仕事ではないのですが」
執務官は口ごもった。
「仕事ではない…?」
周康蓮はわずかに眉をひそめた。
「では何の用なのか?」
一瞬口ごもり、しかし執務官は意を決したように口を開いた。
「お妃様が…!」
「お妃様…?」
珀黎翔がたった一人の妃を後宮に迎え大切にしていることを周康蓮は知っていた。妃である夕鈴とはこの前相まみえたこともある。夕鈴には怖がられてしまったらしいが周康蓮はこのいささか貴族の姫には珍しい妃を気に入っていた。
「お妃様が陛下を呪詛したとの疑いをかけられ謹慎に…!」
「……」
周康蓮は最初執務官の言った言葉の意味が理解できず、理解した上でも信じられず黙ったまま執務官を見返した。
「ですから」
周康蓮に伝わっていないということがわかったのだろう。焦った様子を隠そうともせず執務官が繰り返す。
「お妃様が謹慎させられてしまったんです」
「…柳方淵殿と氾水月殿を呼びなさい」
「かしこまりました」
ぱっと執務官の表情が明るくなる。
「ただちに!」
外にかけだしていく執務官を見送りながら周康蓮はいったい何が起こっているのかと考え込んだのだった。




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