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「三人の贈り物」再録集49に再録(2013,12,29発行)
珀黎翔×汀夕鈴
王都で夕鈴が出会う三人の男たち
その素性は知らぬまま
彼らを手助けした夕鈴は
ある夜再び彼らと再会する…
三人の贈り物
*******
「…お手伝いしましょうか」
不意に声をかけられて李順は振り返った。目の前にいたのは時折この書店で見かけた少女だった。その少女の名前を李順は知っていた。夕鈴という少女はこの子文書や学術書ばかりが並ぶ書店には珍しい姿だったので覚えていたのだ。
店主と話している姿も見ていた。官僚登用試験を受けようとしている弟がいて、その弟のために書物を求めにくるらしい。
とはいうものの李順とその少女夕鈴との接点はこの本屋意外にはなく、素性は明らかにしていないもののおそらく王宮の文官だろうと思われていることは容易に想像がつく。少女はためらいがちに書棚の前に立っていた李順に声をかけた。
振り向いた李順に少女がわずかに身を引いた。
「私…に…?」
「はい。…あの…」
夕鈴はためらった。
「いつも眼鏡をしていらっしゃるのに、今日はしていらっしゃらないから…お困りではないかと思って」
「ああ…」
李順はうなずいた。どうしても手に入れたい書物があり、古書が集まるこの書店に出向いたのだが、途中で人とぶつかり眼鏡を壊してしまったのだ。李順は王の側近であり多忙のため自分の自由になる時間は少ない。王宮にとって帰すよりはこのまま書店にと思ったがやはり眼鏡がないと不便だった。
「それはありがたいですが…」
李順はちらりと夕鈴をみる。果たしてこの少女に本のタイトルが読めるだろうか。
「楽学府というタイトルの本を探しているんですが…」
「ああ、それなら…」
夕鈴は書物の背を眺めながら本棚の前を歩いていって一冊の本を取り出した。
「こちらですか?」
受け取って李順はわずかに目を見開く。
「…ええ。そうです」
どうやらこの少女は文字が読めるようだ。この本は漢書なのでそれなりに学問を治めていなければタイトルを聞いても探すことはできないだろう。
「探していたのはこの本ですよ。ありがとうございます」
「いえいえ、お役に立ててよかったです」
にっこりと会釈をして、そしてもうそれで用はすんだと言わんばかりに夕鈴は李順の前を離れようとした。
「ああ、待ってください。お礼を…」
「…?。お礼なら言っていただきましたけれど?」
夕鈴の黒くて大きな瞳がまっすぐに李順を見上げる。本当に少女が親切心から李順を手伝ってくれたということに気づいて李順は眼鏡を押し上げようとし、そしてその眼鏡がないことを思い出した。
「いや…失礼しました」
李順は軽く夕鈴に頭を下げた。どうやら自分は宮中のひねった物言いの世界になれすぎてしまったのかもしれない。純粋な好意というものを信じられなくなっていたとは。何らかの形で礼をしたいと思ったのは確かだったがそれを言い出すのはためらわれるような少女の純真なまなざしに李順は口を閉ざした。
「いえいえ、お帰りはどうぞお気をつけて」
にっこりと会釈して夕鈴は今度こそ離れていった。
*****
ここは白陽国。前王から代替わりした珀黎翔が治める国である。代替わりの内乱を自ら軍を率いて制圧した珀黎翔は戦場の鬼神、冷酷非情と恐れる王だった。汚職官僚を粛正し徹底した実力主義によって官僚登用試験を整備、自ら新政する王は民からは歓呼をもって迎えられたが多くの貴族や高級官僚に連なる家系の者たちからは命をねらわれるようになった。
とはいうものの自ら剣を抜くことをためらわぬ王はことごとく暗殺のたくらみを退けて今もなお王として君臨している。
命を常にねらわれていることから王宮内においても常時長剣を携える王の姿は今や王宮内では何の違和感もなく受け入れられている。
だが珀黎翔はおそれられるばかりの王ではなかった。街道を整備し、市を支援して商業を活性化させ、さらには治水工事を行って民の生活が安定するようにつとめている。その功績の一つは民の教育を奨励し、官僚登用試験を整備して民にも官僚になる道を開いたことだった。城下に図書館を開いて誰もが書物から学べるようにしたのは珀黎翔のもっとも優れた功績だろう。
学問所に通えるほどの経済力がないものにも学ぶ道をひらき、女性にも学問を与えた。
「…お手伝いしましょうか」
この言葉を言うのは今日二回目だと思いながら夕鈴は目の前で書棚を見上げている青年に声をかけた。ずいぶんと背の高い人だった。すらりとしたという言葉がよく似合いそうだ。普通なら図書館で声をかけることはない。それなのに声をかけたのはその青年を初めて見かけたことと何か困っているように見えたからだった。もしかすると本の借り方がわからないのかもしれない。
「…僕…?」
すずやかな声だった。幸い図書室には人がいなかったがそうでなかったら何人もの人が振り返ったかもしれない。決して大声ではないのによく響く声だった。
頭を巡らして夕鈴を見下ろしたその青年に一目で夕鈴は目を奪われた。
何という端正な美貌だろう。たとえる言葉が思いつかない。先ほど本屋で見かけた青年もずいぶんと整った顔立ちをしていたが、今目の前で夕鈴を見下ろしている青年は際だった面差しだった。貴族、それとも王宮に仕える文官だろうか。何にしても声をかけていいような相手ではないことが容易に察せられる。
青年は眼鏡をかけていたがその眼鏡を青年の整った顔立ちを隠す役にはたっていなかった。
「…あの、すみません。私」
もしも相手が貴族だとしたら声をかけることも許されないような相手だ。
「お困りかと思って…」
「うん」
青年はにこにことうなずいた。
「声をかけてもらってよかった。…ここの図書館にたしか稀覯本(きこうぼん)があったなと思って探していたんだ」
青年はさらりとその本のタイトルを言った。
「ああ…その本でしたら」
弟が勉強できたらいいなあと言っていた本で夕鈴はその本が置かれている場所を覚えていた。歩み寄って夕鈴は本を青年に差し出す。
「これですわ」
「…」
驚いた表情で青年は夕鈴から本を受け取った。
「…どうして置いている場所を知っているの?」
「弟が官僚登用試験を目指して勉強していて…この本で学びたいなって言っていたんです。でも貴重な本ですから図書館から持ち出すことはできないんですけれど」
「ああ、それは知っている。ちょっと読みたかっただけだよ」
うなずいてしかし青年は本を開かなかった。
「ずいぶんこの図書館の蔵書に詳しいんだね」
「ええ」
夕鈴はうれしくなってうなずいた。
「あまり人がいないから、やっぱり王が作った図書館だし人がこないのかなと思ってた」
「何をおっしゃるんです」
夕鈴は憤慨する気持ちのまま青年を見上げた。
「この図書館を今の王陛下が作ってくださってから時間があるときは通っているんです。今はちょうど食事の支度をする時間帯でたまたま人もいないけれど、いつもとっても多く人が本を借りに来ています」
「そうなの?」
穏やかな青年の声だった。
「君…名前は…?」
「私…?夕鈴といいます…あの…」
夕鈴は口ごもった。相手の名前を聞いてみたい。だがどう見ても相手は貴族か官僚に思える。そんな相手に名前を尋ねて良いものだろうか。
だが、青年はにっこりとほほえんだ。
「僕は珀黎翔」
さらりと珀黎翔は名を名乗り、夕鈴へと視線を向ける。
「夕鈴もここに本を借りにくるの?」
「もちろんです。読むことはそんなにできないんですけれど。でもいろいろなことを本で教わりました。もしかすると生涯知らなかったかもしれないことも。この図書館を作ってくださって惜しみなく本を寄贈してくださったのは今の王陛下なんです。陛下には感謝しています」
「そうか…」
珀黎翔はまぶしいものを見るようなまなざしで夕鈴をみた。
「そう思ってくれる人がいると知ったら、王もきっと喜ぶだろう」
「王陛下を冷酷非情と言う人もいるけれど、陛下に感謝している人は多いんです」
「そうか…」
そう低くつぶやいて珀黎翔は手にしていた書物へ視線を落とす。ぱらぱらとめくって本を閉じた。
「あの、何をごらんに…?」
「この本には清朝の壷について載っているんだよ。ちょっと確認したくて」
「清朝の壷…そう言えば最近どこかで聞いた気がします。今はやっているのかしら…」
ちらりと珀黎翔は夕鈴をみた。
「王都で話題になっているの?」
「ええ。…でも清朝の壷はすごく高いんです。私は見たことがありませんけれど」
壷があったら売ってくれと探しにきた人もいましたと夕鈴は思い起こしながらつぶやいた。
「そうか…民の生活に影響があるのはまずいな…」
「え…?。何か今…」
「いや。…ありがとう、夕鈴。また…会おう」
そう言って珀黎翔は図書館を出て行ったのだった。
********
「ではこれで朝の執務は終了いたします」
その李順の言葉とともに執務室補佐官たちは深く一礼する。珀黎翔が退室するその後につき従うのは先ほど声を発した李順である。眼鏡をかけた青年は一見優しげな面差しをしているが珀黎翔の第一の側近であり氷の側近切れ者李順と密かにささやかれる青年で、珀黎翔とともに代替わりの内乱を乗り切った一人である。
李順を従えた珀黎翔はまさしく眉目秀麗な若き王だった。国一番の美姫とたたえられた生母舞姫の血を色濃く引いた端正な美貌。だが密かに狼陛下と恐れられる珀黎翔はその凍り付くようなまなざしと立っているだけでもふるえがくるほどの威圧感をもっている。
王の居間へと移動した後につき従い部屋に入った李順の背後で扉が閉まる。
紫檀の机の前の椅子に座り、珀黎翔は大きなため息をついた。それは執務が激務であることが原因ではなく、珀黎翔を疲れさせる案件が最後に持ち込まれたためだった。
「お疲れさまです、陛下」
にこやかに李順が言う。珀黎翔はじろりと李順へ視線を向けた。
「…貴族が持ち込んでくる縁談は可能な限りよけておけと言ったはずだが」
「もちろん覚えております」
答えて李順は肩をすくめる。
「しかし、何事にも限度がございます。氾家の申し込みを聞くだけは聞いておきませんと、何しろ白陽国の中でも大家でございますし」
珀黎翔はわずかに眉をひそめた。
「それにとられる時間が惜しいと言っているんだが」
珀黎翔の言葉に李順は肩をすくめて見せた。
「氾家の姫でもだめだったということが他の姫たちへの牽制にもなりましょう。実際後宮に一人でも妃を入れてしまえば陛下もこの縁談問題に悩まされることはなくなるかと思われますが」
「言ってくれる」
そう言って両手を机の上で組んだ珀黎翔は不意に口元に笑みを浮かべた。
「僕がこの状況で妃を後宮に迎える余裕があると思うのか、李順」
そうやって笑みを浮かべると年相応の青年に見える。先ほどまで部屋の中に漂っていた凍り付くような気配が薄れた。
「そちらのお姿はここ王宮ではお見せになることなく」
李順はため息をつく。
「陛下は戦場の鬼神、冷酷非情な狼陛下であられるのですから」
その言い回しは妙だった。まるで珀黎翔が冷酷非情ではないと言っているかのような言葉だ。だがそれに異議を唱えることなく珀黎翔は口元をゆがめる。
「まあ生涯を恐れられる王として終える覚悟はちゃんとあるつもりだ。それなのにお前が妃を勧めてくるというのは意外だったな」
珀黎翔はわずかに首を傾げた。
この珀黎翔の二面性を知る者はほとんどいない。おおかたの民にとって珀黎翔はこの国の絶対権力者、あうこともない存在であり王宮に伺候を許される地位の者にとっても珀黎翔に逆らうことはできない専制君主である。
だが、珀黎翔は冷酷非情な王ではなかった。優しく穏やかな心をも合わせ持つ青年でもある。だが、王位についたとき、珀黎翔は心定めた。乱れる国を立て直しこの国の民を守るために恐れられる王になろう。
今この国は珀黎翔が望んだ通り、恐れられる王によって統治され、乱れに乱れていた国内は平和になり市場も活性化し始めていた。
「いや…なかなかに心映えの良さそうな娘というものはこの世に存在するものだなと思うことがありまして」
李順の言葉に珀黎翔はわずかに目を瞬いた。
「いったいどうしたんだ、李順」
幾分驚いたように珀黎翔は言う。そして口元に笑みを浮かべた。
「貴族の姫など統治の邪魔にしかならないと常日頃言っていたお前が?。熱でもあるのか?」
「陛下…なかなかおっしゃいますね。経験を積めば人は変わるものですよ」
「どんな経験を積んだのやら」
珀黎翔は笑みを浮かべたまま言ったが、それ以上は李順につっこむつもりはないようで声を改めた。
「それで例の件はどうした?」
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