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「王の証」(再録集25に再録、そらいろさんごの初めての長編です)初出は2011,8,12夏コミ発行
珀黎翔×汀夕鈴
珀黎翔の異母兄を名乗る男が現れる
王位継承権を持つ新たな存在
証拠を求め李順が去り、浩大が姿を消す
だが、それは男の罠だった・・・
囚われた珀黎翔の生死は、そして夕鈴は・・・



   *******

 びょうびょうと風が吹きすさぶ。夏の盛りを過ぎてそろそろ季節は秋へと移ろい始める頃だった。まだ空は青く、日差しは焼け付くように暑いが、日陰や夜になると過ごしやすい風が吹き付けてくる。
 馬を駆り立てて王都を見下ろせる丘までやってきた男は手綱を引いた。男の顔は険しく眼下に広がる王都をそして、その中にある王宮を見つめた。
 「俺こそが、王だ」
 男はつぶやいた。
 その男の声に反応したかのように鳥が鳴き交わしながら道ばたの木の梢から飛び立った。
 「俺こそが本当のこの国の支配者だ、珀黎翔」
 幾ばくかの恨みと怒りを込めて男はささやいた。
 「お前から何もかもを奪い取ってやる。王の地位も、この国も、お前が寵愛しているという妃さえも」
 男の気配におののいたのか、馬が激しく棒立ちになったが、男は馬の手綱を引き、馬をなだめた。吹きつける風の中、男は低くささやいた。
 「すべてを奪い取られて絶望のうちに死ぬがいい、珀黎翔。わずかばかりの期間、王位にあった王としてお前の名前をこの国の歴史に刻んでやる」
 それは呪詛の言葉だった。珀黎翔に対する怒りと呪い。そしてそれが言葉だけではなく現実のものとするべく男は長い時間をかけて準備してきたのだ。
 男はわずかに口元に笑みを浮かべた。こうしてみると男もまた整った顔立ちをしていた。幾分珀黎翔に似ていなくもない面差しだ。口元に笑みを浮かべたその顔は狼陛下として知られる珀黎翔よりもよっぽど優しく人好きがするといえた。その口元からこぼれ出てくる呪詛さえなければ大貴族の子息といっても通るのではないかと思えるほどだ。
 「……すでに準備は整った。内側からこの国を崩してやるぞ。この手でお前に引導を渡してやろう。レンの名の元でこの国を統治してやる」
 男の名はレンといった。年の頃は珀黎翔とそうは変わらぬ。見たところわずかに珀黎翔よりも年上かもしれなかった。こうして見てみれば全体の気配も珀黎翔と似通っている。服の下に隠された体には、十分な力を秘めていることがわかる手綱さばき。おそらくは剣の腕もかなり立つのだろう。腰に下げた長剣はよく使い込まれていた。長く鍛錬を積んだことがわかる柄である。馬を翻し、レンはそのまま丘を駆け降りていった。

    ******

 ここは白陽国。前王から代替わりしてすでに数ヶ月が過ぎた。一時は麻のように乱れた国内を断固とした意志で制圧した珀黎翔が治める国である。
 汚職官僚を追放し、重税を課す貴族を粛正し、治水土木工事、交通網の整備、市場の活性化など様々な施策を打ち出し、前王の遊興に疲弊していた国はみる間に生き生きとした活気を取り戻しつつあった。
 国が落ち着けば貴族たちの関心は王へと移っていく。王の妃に己の娘を送り込み、できるものならば正妃に据え、王の外戚として権勢を振るおうという考え方だ。
 狼陛下の二つ名を持つ珀黎翔といっても降り懸かるお妃問題をただ退け続ける訳にはいかない。確固たる理由が必要だった。お妃が必要だというのはある意味正論であり、国の安定に貢献すると権勢を握る意図はなくとも言う貴族や重臣もいる。それをむげに扱うと珀黎翔の潜在的な敵を増やすことにもなる。彼らの申し出に悪意はなく、国のことを思っての言葉だからだ。
 結果的に珀黎翔の側近李順が考え出したのは臨時花嫁のバイトを雇うこと。そしてそのバイトに選ばれたのは汀家の娘、汀夕鈴だった。
 今現在、ここ後宮のたった一人の女主人であり、表向きこの国最高の地位にある女性である。
 空は青く澄み渡っている。大きく開け放した窓からは涼しい風が吹き込んできて壁を飾る布を揺らし重石になっていう風鎮がふれあうすすやかな音がする。
 夏の日も今が一番日差しの強い頃だろう。午前中の執務が終わり、後宮に帰ってきた夕鈴は食事ももうすませていた。珀黎翔は精力的に執務をこなすが、さすがにこの盛夏に午後も執務を続けては官僚の疲労が甚だしい。執務そのものは午前中で終わっていた。
 (平和だわ……)
 夕鈴は窓の外を見やった。これで数ヶ月前は内乱まで起きていたとは信じられない。
 「……夕鈴様、夕鈴様」
 少しぼんやりしていたかもしれない。側付きの女官に何回か呼びかけられ、夕鈴ははっとして顔を上げた。
 「私……?」
 「陛下がお渡りになりましたが、いかがなさいますか?」
 夕鈴を気遣うように女官は腰低く尋ねた。本来この国の最高権力者である珀黎翔の訪れを拒めるわけはないのだが、珀黎翔は必ず女官に夕鈴のご機嫌を伺わせる。
 珀黎翔に本当に大事にされていると女官たちは折に触れ夕鈴にそのことを持ち出しては夕鈴の寵愛を讃えるのだった。
 (でも、本当は違うんだけれど)
 この寵愛も妃を愛しているから、ほかの姫は目に入らないと王宮中に思わせるため。
 「どうぞお通ししてください。陛下もお疲れでしょうから何か冷たいものをお持ちして」
 「かしこまりました」
 女官が下がっていくと程なく珀黎翔と李順が夕鈴の居間へと現れた。
 「会いたかったぞ、我が妃よ」
 「ようこそお越しくださいました。うれしゅうございます」
 夕鈴は笑顔を向けて珀黎翔の側へとよった。ふわりと抱きしめられる。その弾みにおそらく服に焚き込めているのだろう香木の香りが漂った。
 「夕鈴」
 さりげなく髪に唇を落とされた気がする。
 どきっとしたが、夕鈴は顔を上げてほほえんだ。
 「陛下……」
 女官たちの前とはいえ、このいちゃいちゃは恥ずかしい。でもこれが仕事なのだからと夕鈴は己に言い聞かせる。
 「陛下、夕鈴様、香り水をお持ちしました」
 冷たい井戸から汲み上げた水に氷室に保管されている氷を浮かべ、花の香りがするように花びらを入れた水を捧げ持って女官が現れる。
 「おお、さすが気がきくな。……それを置いたら下がってよい」
 珀黎翔の言葉にいつもの事と心得て女官たちが音もなく退室していく。 部屋の中は珀黎翔と李順、そして夕鈴の三人だけになった。
 人の気配がなくなると同時に、珀黎翔の放つ怜悧な気配が雪が溶けるように消える。
 「お疲れさま、夕鈴。今日は暑いのに朝から執務室でつきあわせてごめんね」
 「それは……仕事ですから……あの」
 夕鈴は口ごもった。
 「ん……?」
 「いえ、あの……陛下、お手を離していただけますか」
 この暑い中、顔が赤くなっていくのを自覚しつつ夕鈴は訴えた。
 「別にこのままでもいいけれど?」
 珀黎翔がからかうような口調で言う。
 「でも、あの……」
 まさか珀黎翔の手を振り払うわけにはいかない。そうかといってこのまま抱きしめられているのは人目が気になる。もちろんこの場にいるのは事情を知っている李順だけだったが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
 「……陛下、せっかくの空き時間なのですから少しでもお休みになった方がいいのではありませんか?」
 あきれた口調で口を挟んだのは李順である。
 こちらも王の側近というよりも夕鈴の鬼上司といった口調になっている。
 「わかったよ」
 残念そうに答え、珀黎翔は夕鈴から手を離した。そのまま歩いていつもの定位置の長椅子に腰を下ろす。
 「やっぱり人数が少ないせいなのか、後宮の方が涼しく感じるな」
 「確かに」
 李順も同意した。
 「王宮には深い井戸があって、常に水も用意できるがこの暑さでは民の方は大変だろうな」
 珀黎翔は窓の外へと視線を送った。青くすんだ空からは強い太陽の日差しが降り注いできている。
 「最近陛下がやっていらした井戸の整備計画って、夏の治水工事の為なんですよね」
 いくら臨時花嫁といってもずっと珀黎翔の執務中は側にいるのである。夕鈴も珀黎翔がここのところ治水計画に力をいれていることを知っていた。
 「うん、そうなんだよ」
 うなずきながら珀黎翔は軽く肩をたたく。精力的に仕事をこなしている珀黎翔はもともとがあまりデスクワークが好きではないということもあり、意外と肩がこるようだった。
 「でも、今日の質疑で計画はほとんど問題もなさそうだ。工事には軍からも兵士を出して手伝わせる計画だし、決済は済ませておいたよ。貯水池の水が干上がるまでに治水計画が間に合ってよかった」 
 「陛下って本当に陛下ですよね」
 しみじみと夕鈴は言う。狼陛下、戦場の鬼神と恐ろしい名前ばかりが先行しているものの、珀黎翔が実際にはこの国を統治するためまさしく心身を削るようにして働いていることを夕鈴はよく知っていた。
 「さて、では仕事の打ち合わせに入りましょうか」
 そう切り出したのは李順だある。
 「あ、やっぱりそうですよね」
 夕鈴はうなずいた。こんな時間帯に珀黎翔が李順を伴って後宮へと訪れるのは珍しい。いつもなら執務に励んでいる頃だし、夕鈴の仕事は臨時花嫁なのだ。夜になって後宮を訪れた珀黎翔と仲良く夫婦演技をするのがメインである。だが、臨時花嫁の仕事が長引くにつれて、様々なオプションの仕事が舞い込んでくるようになった。妃として貴族や外国の要人をもてなしたり、珀黎翔の唯一の妃として行事に参加することもある。
 「もしかしてまたお客様とか」
 夕鈴の言葉に珀黎翔は軽く首を振った。
 「いや今回は宴だよ。夏の盛りなので涼を求めて宮中行事として夜に宴が行われる」 
 「……なんか暑くなりそうですね」
 思わず夕鈴はそうつぶやいた。こうして後宮で暮らすようになってわかったことは、宮中は意外に宴が多いということだった。最初のうちは内乱まであったというのにこんなに宴を催してと思っていたが、これもまた立派な社交というものらしい。李順の言うことには様々な宴でのそれぞれの役割によって宮中の勢力図が塗り変えられるそうだった。
 「もちろんこれは公式行事ですから、お妃の出席が必要です。……正妃がいれば問題ないのですが」
 李順がため息をもらして見せた。
 「夕鈴が正妃になってくれてもいいんだけれどな」
 「そんなのダメです!」
 夕鈴はわずかに身震いした。珀黎翔のことは好きだ。相手はこの国の王であり、本来姿を間近に見ることさえない身分だが、珀黎翔が狼陛下と呼ばれるまでにこの国を守るため怖くて強い王を演じていると知ってから珀黎翔を支えたいと思うようになった。
 だが、支えたいとはいっても夕鈴は偽物の妃なのだ。貴族の姫というわけでもない。正妃につけるような立場ではないことは十分にわかっている。
 「陛下、話を元に戻してもよろしいですか」
 李順は珀黎翔の正妃にという言葉にはまったく反応する気はなかった。容赦なく話を本道へと戻す。
 「……いいよ」
 またどうしてそう残念そうなんだと心の中で夕鈴は思ったが口には出さなかった。
 「まあ宴ですし、あなたは笑って陛下の側に侍っていてくださればよろしいんですよ。陛下には宴の時に側に侍る妃がいると見せつければよろしい。まあいつものいちゃいちゃを女官たちの前ではなくて招かれた貴族たちの前でやってくれればいいんです」
 「それが結構難しい要求なんですけれど」
 夕鈴は異議を唱えた。
 「女官たちの前ならいちゃいちゃですみますけれど、貴族のみなさんの前だと結構言い返してしまったりしますし」
 何とかして夕鈴を蹴落とし、己の血族を妃として後宮に入れたい大臣などが宴で夕鈴に嫌みを言ってくるのは一度や二度ではなかった。
 「ああ、それはかまわないよ」
 にっこりと珀黎翔が笑う。
 「かえって言い返すぐらいがいいだろうな。さすが狼陛下の花嫁ということで」
 「あんまりほめられている気がしません」
 夕鈴はつぶやいたが、顔を上げた。
 「では一番近い行事はその宴ということになりますね。いつ頃なんですか?」
 「もうかなり前から準備はされているんだよ。夕鈴に話を持ってくるのが遅くなって悪かったけれど」
 珀黎翔はため息をついて見せた。
 「日時が確定したのは今日の執務でなんだ。一週間後……ということになるかな?」
 「わかりました」
 夕鈴はうなずいた。
 「そういうことなら……」
 言いかけた夕鈴に不意に珀黎翔が片手をあげた。ただそれだけの動作だったのに、珀黎翔の気配が変わる。面差しさえも変わって見えるのが不思議だった。
 夕鈴は思わず息をのみ、言葉を途切れさせた。
 狼陛下だ。
 珀黎翔が何の気配を感じ取ったのか、すぐにその正体がわかった。女官が走り込んでくる。
 「陛下、おくつろぎのところ、申し訳ございません」
 「どうした?」
 声さえも変わっていた。鋭く怜悧なその声音。戦場で大勢の兵士に檄を飛ばし、勝利を導いた王の声だ。
 「ただいま王宮の方から至急お戻りくださいますようにと侍官が参っております」
 「…………」
 珀黎翔は一度だけ視線を李順へと向けた。そして立ち上がる。
 「すぐ行こう」
 そう短く告げて珀黎翔は夕鈴の居間をでていこうとしたが、戸口で一度足を止めた。
 「我が妃よ。また夜にくる。その時には愛らしい姿で迎えてくれ」
 「あ、はい」
 人目がある。今は臨時花嫁の仕事中だ。夕鈴は姿勢を正して珀黎翔に笑みを向けた。
 「お越しをお待ちしております、陛下」
 一度うなずいて、そして珀黎翔は李順とともにでていったのである。
 夕鈴は立ち尽くしたまま珀黎翔を見送っていた。後宮から珀黎翔が呼び戻されたことなどなかった。いったい何が起こったのだろう。胸がどくどくと高鳴っている。こみ上げるのは不吉の予感。
 「……夕鈴様」
 気遣わしげに呼びかけられ、夕鈴ははっと顔を上げた。
 「卓の上のものをお下げしてもよろしいでしょうか」
 「え、ええ」
 気を取り直して夕鈴はかろうじてうなずいた。
 「それにしても、いったい何の用でございましょうか。陛下が王宮へお戻りになられるとは」
 「……侍官は何か言っていたかしら」
 そこまで深入りするのは臨時花嫁としての職分を越えている。そんなことはわかっていた。それでも夕鈴は尋ねずにはいられなかった。
 「いえ、特には何も。ただ陛下にお戻りくださいますようと。……大丈夫ですわ、夕鈴様」
 女官がにっこりとほほえみかけた。
 「内乱となればもっともっと王宮中がざわめきますもの。それに陛下のご威光は国の中にくまなく届いておりますわ。内乱が起こるとは思えません」
 「そうね。そうだわ」
 夕鈴は己に言い聞かせるようにうなずいた。
 「陛下は夜にはまたお越しくださると言っていらしたのでお迎えの用意を。……何か陛下から連絡があったらすぐに伝えて」
 「かしこまりましてございます」
 女官はうなずき、部屋を出ていったのだった。

   ******
   
 「容易ならぬ事態になりました」
 ここは王宮の執務室だった。侍官によって後宮から呼び戻された珀黎翔は報告を受けるとすぐに執務室に籠もり李順と善後策を協議していた。
 「この男、陛下にご記憶は……?」
 李順がこの男と言ったのは、レンである。
 「いや、正直会ったこともない」
 珀黎翔はつぶやいた。
 「我が親ながら、父は女性関係は節操なかったからな。真実かどうかも判別できない」
 李順もその珀黎翔の言葉が事実であることはわかっていたものの、聞かずにはいられなかったのだろう。小さくため息をついて李順は眼鏡を押し上げた。
 「では、この者が真実陛下の異母兄である可能性は捨てきれないということですか」
 「……残念ながらな」
 珀黎翔は肩をすくめた。
 異母兄。
 今王宮で持ち上がっている大問題はその言葉に集約される。内乱の時を経て、ようやく平和な日々を過ごせるようになった白陽国にとっては再び内乱がおこってもおかしくない戦争の火種。珀黎翔の異母兄を名乗る男が現れたのだ。直接王宮へと乗り込んできたわけではなかった。男は手順を踏んで珀黎翔と会うべく白陽国の国境近くの貴族の館に現れ、珀黎翔との会見を望んでいるという。
 「もしも真実王家の血を引くとなれば、この男は陛下にとって兄となる。王位継承権は陛下のお子なき現在第一位ということに」
 そこまで言って李順はわずかに身震いした。
 「まずいな」
 あっさりと珀黎翔がその李順の言葉を引き取ったが、それを聞くなり李順はきっと珀黎翔を見据えた。
 「まずいですとも!」
 国が珀黎翔の強力な指導力によって一つにまとまり、様々な施策を打ち出して改革を進めていくおり、新たな火種が撒かれるのは避けたいところである。改革は賛成者とともに反対者も生むのだ。場合によっては暗殺も辞さないほどの敵意と憎悪を。
 それでもこの国が一つにまとまっているのは絶対的な権力を握る王家の直系の血を引く王位継承者が珀黎翔の他はいないからである。王家の血を引くということで珀黎翔に反旗を翻した貴族もいたが、実際に王位につこうとすればその血の薄さゆえに別の意味で物議を醸し民の支持を得ることはできなかっただろう。だが、今の国王である珀黎翔と同じ父王の血を引き、しかも兄となれば話は変わってくる。濃い王家の血を持つ王位継承者だ。珀黎翔の統治に反感を抱く貴族たちは雪崩をうってその異母兄のもとへと赴くだろう。
 「そう言われるとますます困った事態になったな」
 「困りましたとも!」
 李順はうめいた。
 「ああ、こんなことなら正妃を迎えてお世継ぎを立てておくんでした。長元老師の言うとおりでしたよ」
 李順の嘆きももっともだった。
 王位継承権は本来第一位は珀黎翔の子供ということになる。複数いればその子供たちすべてが終わった後にこのぽっと現れた異母兄の順が回ってくるのだ。
 「それについては仕方がないな。子供は一日二日でできるわけでもないし。それに父も王位継承に関して言えば愚かではなかった」
 珀黎翔は肩をすくめる。
 「本当に王家の血を引くというのならば何か証拠を渡しているはずだ。確かに王の血を引くのだという証を」
 「……そうでしょうか」
 「たぶん……な」
 珀黎翔は目を一度閉じた。
 「まあ、必ずしも相手が王位をねらって乗り込んでくるということもなかろうし……」
 「陛下には珍しくも甘くていらっしゃることですね」
 李順はうなった。
 「この時期に今まで姿も見せなかった王の子、陛下の異母兄が現れたんですよ。敵意がないはずはない。おそらくは陛下の代わりに王位を狙って雌伏し、国家を転覆する用意をしてきたものと考えられます」
 「……わかっている。冗談だ」
 珀黎翔は肩をすくめた。
 王の血を引いていながらずっとその名が闇に沈んでいた異母兄。もしも本物だったとしたら、そして不遇のうちに育ったのだとしたら。この男が王への敵意を秘めていてもおかしくはない。
 「だが、もちろんこれもまた偽物だったという可能性は残っている」
 珀黎翔はゆっくりと指先で机の上を叩いた。
 「それならそれで正体を暴けば事はすむ」
 「これほどの偽装をして乗り込んでくるのならば偽物だとはすぐにはわからないでしょうね。……現在こちらの手の者に調べさせるよう命じているのですが。……浩大にもこの男の正体を調べさせるように言ってもよろしいですか?」
 そう李順が言ったのには訳があった。浩大は珀黎翔の隠密の一人だが、その信頼が厚いだけあって、その子供のような容姿にも関わらずきわめて能力的に優れている。それだけではなくいざとなれば手を血に染めることもためらわない。隠密としてはほぼトップクラスの優秀さだった。
 だが、珀黎翔は首を振った。
 「浩大はだめだ。あいつには別の任務を命じてるからな」
 「……夕鈴殿ですか?」
 李順は目を瞬いた。
 「しかし、夕鈴殿は後宮で守られている。浩大までつける必要は……」
 「夕鈴は表向き私の唯一の妃だ」
 珀黎翔はゆっくりと答えた。
 「それはすなわち、私の子をはらんでいる可能性がある。もしも私がこの男の立場で、王家に恨みを持ち、王宮へ乗り込んでくるとしたら夕鈴を殺す」
 「……っ」
 あまりにも淡々とした口調だったが、それだけに思わず李順は身震いした。
 「陛下」
 「だから、浩大には夕鈴の護衛を命じた」
 「……かしこまりました」
 珀黎翔が先を見て手を打っていることに納得して李順は引き下がった。
 「では、浩大はそのように。……陛下はこの男が敵だと思っているわけですね」
 「当たり前だ」
 答えて珀黎翔は用意された書類を手に取った。
 「もちろん、この男が本当に王家の血を引いている私の兄で、不遇のうちに育ちながらも白陽国のために力をつけようと他国を訪問しつつ力をつけ、ようやくこの国に戻ってきて私に協力したいと申し出てきたという可能性はたしかにゼロではない。だが、そんなことは信じられない。それぐらいなら国が乱れに乱れている時に戻ってきて協力すべきだろう。今になってなぜ現れたのか」
 「……遠方であり聞いてすぐ駆けつけてきたと書面にはございましたが」
 「その言い訳もまたやっかいな相手だということをはっきりさせる」
 珀黎翔は書面を机の上に投げた。その書類は男が珀黎翔へと書き送ってきた手紙だった。
 「読むからに頭のいい文面だ。率直な所、前王……まあこちらも私にとっては兄なのだが、前王より遙かに頭の方はいいだろうね。敵に回すとやっかいな相手だが、間違いなく敵だろうな。……偽者であってくれればいいが、もしかすると本物かもしれない。この男が本物とすればやっかいなことになる」
 李順は机の上に投げられた書簡を見やった。
 「お会いになられますか?」
 「会うしかない」
 珀黎翔はため息をついた。
 「王の血を引く異母兄を粗略に扱うわけにもいかない。だが、もちろん真偽は確かめる旨を告げておこう。……迎えには……」
 幾分考え込む様子に李順は手元の書類をめくった。
 「柳方淵か、氾水月を立てましょう。二人とも本日出仕しております」
 李順の言葉に珀黎翔はうなずいた。
 「そうだな。……氾水月がいいだろう。出仕するようになってわかったが確かにあいつは優秀だからな。水月ならば私の意を汲んで男の様子をよく見ていて報告するだろう」
 柳方淵は武人の家系だ。こういう時にもしも男が使者を人質にとろうと考えても対応できるだろうが、まさかこれから王宮へ乗り込んでこようという相手が手荒な行動にでるとは思えない。宮中での策謀に慣れている氾水月の方が最初の出迎えには向いているだろう。
 「かしこまりました。そのように手配いたします」
 李順はうなずいて珀黎翔の決定を受け入れた。
 「王宮へ迎えざるを得ませんが、しばらく王宮内に部屋を与える件もかまわないですか?」
 「やむをえんだろうな」
 珀黎翔はうなずいた。
 「まずはこの男が本物か偽物かを確かめる。そして男には監視を怠るな。この男は……間違いなく敵だ。だが、敵としても簡単に排除はできない敵だ。王宮内に敵を入れるということは……これが戦争ならもう私は負けている。この負け戦をひっくり返して勝利をつかむにはあらゆる手を打っておかなければならないだろう」
 負け戦という珀黎翔の言葉に、はっとしたように李順は顔を上げた。
 「陛下…それほどの危機と思っていらっしゃるわけですか」
 「その通りだ」
 李順の言葉に重々しく珀黎翔は答えたのだった。
 



「王の証」(再録集25に再録、そらいろさんごの初めての長編です)初出は2011,8,12夏コミ発行
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