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「乙女の祈り」初期再録集3に再録(2013,12,29に再版予定)
使者を装って珀黎翔に切りかかる男
夕鈴を守りつつ苦もなく切り伏せた珀黎翔だが
それは二段構えの罠だった・・・

   *******

 「白陽国国王陛下におかれましてはご機嫌麗しく……」
 使者の口上を述べる声が広い謁見の間に流れていく。王の執務服に身を包み、正面の椅子にゆったりと腰をおろして朝貢の使者の言葉を受けているのは若くして王位を継ぎ、乱れた国内を建て直し、今や名実ともに国の実験を握る国王珀黎翔だった。
 端正な美貌に意志の強いまなざし。すらりとした長身を包む王の執務服がよく似合う。華美な装飾品を身につけることは好まないが、珀黎翔はそこにいるだけで他を圧する存在感を持っていた。そして、その腰に携えた長剣も常なら異質なものなのだがこと珀黎翔に限って言えば向武で知られる王だけのことはあった。
 自ら剣を振るうことをためらわぬ王の強さに、一時に比べて王に暗殺者を差し向けてくる敵(それは貴族も含まれていた)もずいぶんと減ってきている。
 その珀黎翔の傍らにもう見慣れた光景となった少し小さめの椅子が用意されていた。その椅子には王の謁見の間には珍しい妃の姿が見えた。珀黎翔の寵愛をほしいままにしているたった一人の妃である汀夕鈴である。
 しかしながら汀夕鈴は本物の妃ではない。国内外が平定され、平和になるにつれて王に仕える貴族たちの関心は王の妃、ひいては正妃へと移っていく。
 国内の政治を断固として改革していく珀黎翔は外戚による煩わしさを望まず、その意を受けた側近李順は臨時花嫁をたてることでお妃問題を先送りすることにした。
 そして縁談よけ、不平分子のあぶり出しとしての役割を担うことになっのが臨時花嫁として雇われた夕鈴だったのである。
 夕鈴は珀黎翔が狼陛下と呼ばれながらも本心は優しい心を隠し持った王であることを偶然に知った。そして珀黎翔を支えようと決心したのだ。
 夕鈴とともに過ごすうち、その気持ちに引かれた珀黎翔は本当に夕鈴に好意を抱き、ひいては妃として遇するようになっていたのだが、それを夕鈴はまだ知らない。
 「こちらに我が主より国王陛下への献上の品をお持ちしました」
 腰低く使者は珀黎翔の前に膝を付き、供の者が差し出した箱を示した。
 「なるほど」
 珀黎翔の口調は冷ややかだ。
 「不当に民より取り立てた税であがなった品がそれというわけか?」
 声を荒げたわけではなかったが、内容は思わず身が震えるような鋭さに満ちていた。謁見の間に控える官僚たちがびくっと身をこわばらせる。
 「それはあまりな言われようでございます」
 さすがに珀黎翔の前に出ることを命じられた使者だけあって、声がわずかに上擦ったものの男は恭順の様子を変えなかった。
 「陛下のお疑いを我が主は遺憾なものと感じております。これらは我が主が陛下に永久に忠誠を誓うあかしでもございます」
 使者は箱の蓋を自ら取り除き、中から一振りの長剣を取り出して捧げ持った。
 きらびやかな細工が施された儀礼用と思われる長剣だった。柄にも五色の飾りひもが巧みに装飾をかねて巻き付けられている。
 「これは……見事な……」
 珀黎翔の側に控えていた貴族の一人が思わずしもといった表情でつぶやく。
 確かに朝貢の品だけあって、その細工は夕鈴が見てさえ見事なものだった。
 だが、珀黎翔のまなざしは鋭いままだった。
 「確かに見事なものだが、私はものを差し出すよりも陽地区における税の収支について確認したいと伝えたはずだ」
 その口調は冷ややかの度合いを増した。
 「その収支について納得できない時は領主に責任をとらせるとも伝えた」
 「もちろん存じております」
 使者の口調はあくまでも丁寧だった。
 「我が主より預かって参りました書類も持参して参りました」
 ゆっくりと使いの男は長剣を珀黎翔の前の台に乗せ、それから箱の奥にしまわれていた書簡を取り出した。
 「確認いたします」
 そう声をあげたのは李順である。
こちらも謁見の間に控えていた珀黎翔の第一の側近である李順は文官筆頭でもあった。進み出て使者から書簡を受け取ろうとした李順を鋭い声で制したのは珀黎翔である。
 「待て!」
 「……っ!」
 その珀黎翔の制止と使者の男が李順へと書簡をたたきつけたのはほとんど同時だった。
 李順がとっさにその書簡を片腕で払ったがその間に使者は剣を抜き、李順に切りかかろうとする。
 抜き身の剣の輝き。
 思わず夕鈴は手にした扇を握りしめた。悲鳴をあげるだけの余裕もない。夕鈴付きで後ろに控えていた女官は襲いかかってきた使者から少し離れていたということもあり、こちらは悲鳴を上げて床の上にへたりこんでしまう。
 「陛下っ!」
 上擦った声で夕鈴は叫んだが、その声はほとんど室内では聞こえなかった。
騒然とした謁見の間では控えていた貴族や官僚が総立ちとなる。
何人かは出口へと逃げだし、何が起こったのかわからぬまま外で控えていた兵士は、動きがとれない。
 使者はまず目の前にいる李順を切り倒し、珀黎翔へ迫ろうとしてか、李順へと切りつける。さすがにこの謁見の間で珀黎翔の前でまさか使者が剣を抜くとは誰も思っていなかった。
 「李順!、動くな!」
 その場に響いたのは珀黎翔の声だった。馬の行き交う戦場でさえあまたの兵を指揮した珀黎翔の声は隅々まで届いた。
その言葉に応じて李順は動きを止める。使者が剣を振り下ろそうとする。だが、その刃は李順に届く前に高い金属音とともに跳ね上がった。
 王座に座っていた珀黎翔が立ち上がり、そして常に携えている長剣を抜き放つとともに投擲したのだ。
 ぐさりと音さえ聞こえるのではないかと思うほどやすやすとその長剣は使者の体に深く沈み込み貫いた。無念の表情を見せながら男は床の上に倒れたが、それだけでは終わらなかった。
 「反逆だ!」
 声を上げたのは誰だったのか。
 「まだ一人残っているぞ!」
 「死ね、珀黎翔!」
 一人が倒された間にもう一人がこちらも貢ぎ物の箱の中に隠してあった剣を振りかざす。
 「衛兵!。取り押さえよ!」
 珀黎翔の鋭い声が身近に聞こえたと思った時は夕鈴の前に珀黎翔が立ちふさがっていた。
 「さがれ、夕鈴」
 その手にはすでに剣が抜き放たれている。長剣を李順の命を救うために投げた珀黎翔は武器を持っていなかったはずだが、そのきらびやかな輝きに夕鈴は珀黎翔のもつ武器が先ほど使者が台の上に置いた剣であることに気づいた。夕鈴を守るためとっさに珀黎翔はその剣をつかみとり夕鈴の前に立ちふさがったのだ。
 「……っ陛下!」
 「さがれ、夕鈴」
 まさに剣をかざした男が駆け寄ってくるというのに、再度夕鈴に逃げろと言う珀黎翔の声は冷静だった。
 さすがに謁見の間で使者が襲いかかってくるのは初めてだ。足がすくみ夕鈴は動けなかった。
 「王!、我が主のために、死ね!」
 言葉とともに襲いかかってきた男を、しかし珀黎翔は軽々と剣を一振りしただけでうち倒した。
 「賊を取り押さえよ、死なせるな」
 珀黎翔の言葉に雪崩を打って謁見の間に入ってきた兵士が男を押し囲むようにして取り押さえる。しばらくののしるような声が響いたが、すぐに男は声さえ封じられて引き立てられていった。珀黎翔が剣を投擲した男の方は動かなかったが、こちらも兵士が外へと運び出す。
 「陛下、お怪我は……」
 目の前でこのような惨劇をみることは少ない貴族や官僚は声もなかったが、さすがに柳大臣は軍部を統括する立場である。最初に口を開いたのは柳大臣だった。
 「大事ない」
 素っ気ないといってもいいような口調で珀黎翔は答え、手にした剣に視線を落とし、台の上へと放った。
 「あの者についてはお任せを。証人として事実を明らかにし、主の命であることを証拠立てておきます」
 「いいだろう。それは柳大臣、お前に任せる」
 珀黎翔はうなずいた。運び出されていく男を見る。
 「おろかなことだ。……陽への訴追は」
 「お任せください」
 こちらはあまり惨劇に慣れていないはずの文官である氾史晴だったが、さすが貴族の名門だけある。幾分表情が堅くなっていたとは言え、この状況でしゃべれるだけやはりほかの貴族とはひと味違うものがあった。
 「そちらは私が」
 「では、氾大臣にまかせる」
 珀黎翔はうなずいた。
 「李順」
 「お側に参っております。……陛下、お助けいただきありがとうございました」
 さすがに珀黎翔とともに修羅場をくぐってきただけのことはある。直接殺されかけたばかりとはいえ、李順もまた幾分青白い顔色ながら珀黎翔の言葉に応じた。
 「無事でよかったな」
 「私は。しかしながら女官には手当が必要なようです。それにお妃様も後宮にお引き取りいただいた方がよろしいかと」
 「私は大丈夫です」
 夕鈴は気丈に答えたが、実際には自分の手がまだふるえていることに気がついていた。振り向いた珀黎翔が一度目を瞬く。
 「さすが、我が妃」
 幾分声を和らげて珀黎翔がささやいた。
 「だが、そなたが後宮で安全に休んでいる方がよい。女官……いや」
 珀黎翔は女官が腰を抜かしてしまっていることに気づいて首をふった。
 「お妃様は私が後宮までお送りいたします」
 李順がそう申し出る。
 「そうだな。……ではそうしてもらおう。……本日の朝儀はこれで終了とする」
 そう告げて珀黎翔は解散を指示したのだった。

    *****

 いつもなら夕鈴付きの女官が側についているのだが、今回は李順が後宮へ夕鈴を送ってきたというので留守を守る女官たちは驚いて二人を出迎えた。
 「いかがなさいました?」
 気遣うように夕鈴に問いかける女官を遮ったのは李順である。
 「少々執務室でトラブルがありました。そのうち陛下のお名で公布もあるでしょう。お妃様をお送りしたら私は陛下の元に戻らねばなりません」
 「私は大丈夫ですからみんなは落ち着いて陛下のお言葉を待ちましょう」
 夕鈴は女官たちを見回した。
 「かしこまりました」
 夕鈴の言葉に女官たちが下がっていくのを待ちかねて、夕鈴は口を開いた。珀黎翔が襲われたというので王宮内の回廊にも柳大臣の命によって兵士が立ち、李順と立ち入った話はできない状況だったのだ。
 「あの、李順さん」
 「しばらく後宮でおとなしくしていてください」
 李順の表情は眼鏡の奥に隠れてよく見えない。
 「それは……おとなしくしていますけれど。それより李順さんは大丈夫だったんですか?」
 「……私ですか?」
 幾分驚いたように李順は口ごもった。
 「だって……さっき危なかったし」
 「あなたが私を気遣ってくれるとは思いませんでした」
 「失礼ですね!。私だって上司の身ぐらい気遣いますよ」
 「それは……確かに失礼しました」
 李順がようやく口元に笑みを浮かべる。
 「私なら大丈夫ですよ。陛下が助けてくださったので……」
 「すごく……驚きました」
 夕鈴は身震いした。
 「そうですね。あんな修羅場になるとは思っていませんでしたので正直私も驚きましたよ」
 李順はうなずく。
 「ですが、犯人はすでに捕らえていますし、これで証拠はそろいました。陛下を殺そうとしたのですから、陽の罪は重い。陽の領地の民も安心して暮らせるようになるでしょう」
 「でも、税を不当にとっていたということを追求しただけであんなことになるなんて……」
 夕鈴は身震いする。珀黎翔に襲いかかっていった男の姿が脳裏をよぎって忘れられない。
 珀黎翔が悪政をなしたというのならこの攻撃にも一分の理があるのかもしれない。だが、今回の場合は珀黎翔に非はないのだ。事前に夕鈴も今回の陽の件について聞いていた。
 「陛下のような不正を許さぬ施政者が恨まれるのもまた事実です。特に甘い汁を吸っていた者ほど陛下が恨めしいでしょうね
 李順はちらりと夕鈴を見た。
 「今回ですが、危険手当は出しておきますね。まさか陽が逆上し、陛下の暗殺をたくらむとはこちらも読み切れていなくてあなたを危険な目にあわせてしまったので」
 「それは……ありがたいですけれど」
 「……では私はこれで」
 李順は身を翻した。
 「あ。ちょっと待ってください」
 夕鈴は李順を呼び止めた。
 「……何か?」
 「陛下が……先ほど手に怪我をされていたようでした。侍医の手当をお願いします」
 「怪我……ですか?」
 李順は不思議そうに首を傾げた。
 「賊の刃は陛下に一太刀もかすらなかったように拝見しましたが?」
 「そうかもしれませんけれど」
 幾分自信がなくなって夕鈴は口ごもった。あのように攻撃されるのは久しぶりなので、動揺して見誤ったのかもしれない。
 だが、珀黎翔にかばわれて後ろに立ち尽くしていた時、剣を投げた珀黎翔の手から一筋二筋血が流れたように見えたのだ。
 「手に怪我をされていたように見えたんですけれど」
 「……わかりました。後ほど確かめておきます」
 そう答えて李順は今度こそ部屋を出ていったのである。




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