top狼陛下の花嫁小説>望みはかなう永遠に

イベント参加のお祭り企画
いつもそらいろさんごの作品をご覧くださっている読者様に感謝を込めて
公開です。お楽しみください

「望みはかなう永遠に」再録集29に再録(初出は2012,12,29冬コミ発行
珀黎翔×汀夕鈴
夕鈴は怪我をした男より小刀をたくされる
王の下へと言い残した男の願いをうけて
王都へと向かった夕鈴は・・・
毒、記憶喪失、本物の王・・・

 望みはかなう、永遠に
  *******
             
鬱蒼と木々の生い茂った夜の森。
月はこうこうと冴え渡っていたが、高く枝々を張り渡した森の中は、少し離れるともう闇に溶け込んで物の形さえ判別がつかない。日が落ちれば護衛を連れ、隊を組んだ商人の列すら足を踏みいれない夜の森である。
その中をひた走る少女がいた。
長く結いあげられた黒の髪。大きく見開かれた瞳もまた黒々と夜の闇をうつしだしている。少女というよりも少年のようなきびきびとした動きだ。
ちょっと見た限りでは町育ちの少女が道に迷ったのかと見えるが、そのわりには表情にも振る舞いにも迷子になった者特有の怯えた様子はなかった。
一番少女を少女らしく見せないのは、その手に大事に持っている小刀だろう。少女の持ち物とはとうてい見えない実用一点張りのその小刀を少女は大切に手の中に握り込んでいた。
少女の名は汀夕鈴。
夕鈴は白陽国のはずれの村に住む普通の少女だった。下級役人をしている父と官吏登用試験を目指して勉強している弟がいる。
地道に毎日を過ごしていた夕鈴はある日予想もしない事柄に巻き込まれ、生れ育った村を出奔するはめになった。
今をもってしてもあの時何が起こっていたのか夕鈴には正確にわかっていない。
必死に走り続けていた夕鈴はようやく足取りを遅くした。もうそれ以上走り続けられなくなっていた。
「もう…大丈夫かしら」
夕鈴はつぶやきながら振り返る。
自ら森の中へ踏み込んだとはいえ月の光だけが頼りの夜の森だ。ここ白陽国は代替わりの争乱を乗り越えて新しく王が立ってから交易を奨励し街はずいぶんと整備されていたがこのような道らしい道もない森の中は決して安全な場所ではない。まして夜になって交易の商人の姿もない。
本来なら恐ろしい場所のはずだったが夕鈴にはもっと恐ろしい場所があった。そこから逃げて逃げてこの森に入ったのだ。夕鈴は足を止め、太い木の側に腰を下ろした。
「どうして…こんなことになってしまったのかしら…」
夕鈴は小さく繰り返した。
この場所に夕鈴が逃れ出たのは理由があった。
村で買い物に出た帰り、酒場の裏を通りかかった夕鈴はその路地裏に倒れていた男を見つけた。倒れている姿に驚いた夕鈴は男に駆け寄った。それがすべての発端だった。
そのときのことを夕鈴は思い起こす。
「怪我をしているの…?」
かがみ込んだ夕鈴の手を男はぐっと握った。
「…!」
「お嬢ちゃん、なかなか勇気があるね」
荒い息を吐いて男は横に倒れたままにっこりと笑って見せた。夕鈴に警戒心を抱かせない顔立ちだった。
「村娘には珍しいな。行き倒れに声をかけるなんて…」
そう言って男は息を吐いた。その顔には殴られた痕があった。顔だけではなく口元にも血の痕がある。
「何を…。それより手を離して。怪我をしているわ。手当をしないと」
「いいよ。大丈夫。あのさ、お嬢ちゃんを見込んで頼みがあるんだけれどさ」
男は夕鈴の手をつかんだまま自分の懐を探った。中から小刀を取り出して夕鈴の手に握らせる。そして力つきたように手を離した。
「これ…は…?」
「俺は徐っていうんだ。徐克右」
見かけより男の怪我は重傷なようだった。徐克右の声が幾分弱まった。
「お嬢ちゃん、それをもって逃げてくれ」
「…逃げろ…?」
夕鈴は手の中の小刀を見た。
「それは大事なものなんだ。ある方に渡さなければならない。…あいつらにわたったらまずいんだよ」
「徐さん…」
「これをもって逃げてくれ」
徐克右は繰り返した。
「もうすぐここにも追っ手がくる。あんたをこんなことに巻き込んで本当に悪い。でも、それをあんたがもって逃げてくれれば俺もすぐに殺されることはないだろう。…まあちょっとは痛い目にあわされるかもしれないけれどな」
時間を稼げば殺される前に味方がくると徐克右は笑って見せた。
殺されるという言葉はあまりにも穏やかではなかった。
「なんですって!」
「いいか」
徐克右はわずかに身を起こした。あたりに人の気配はない。徐克右は片手をあげて村の入口を指さした。
「このまままっすぐに村を出て、王都の方へ向かうんだ。そして…」
徐克右はためらった。
「それを渡すのは…王陛下に」
「陛下…?。狼陛下…!」
「おや、こんな辺境にも陛下の名前が知れ渡るとはな」
徐克右は苦笑した。
「それぐらいは知っているわ」
恐ろしい狼陛下。冷酷非情、戦場の鬼神、王都では大勢の貴族が粛正されたと聞いている。
「陛下は恐ろしいけれど、鬼じゃないぜ」
「それは知っているわ」
夕鈴はつぶやいた。恐れられる新しい王。だがその王が即位してからずいぶんと暮らし向きは楽になった。
「王陛下のためにどうしても必要なものなんだ…それは…陛下に直接…」
言い掛けて徐克右は顔を上げた。傷ついた顔が引き締まる。その物音は夕鈴にも聞こえた。何人もの男たちの声がする。村の盛り場へと向かう声ではない。こちらの方を探しにくる男たちの声。
「行ってくれ。追っ手だ」
「でも、でもあなたは?」
夕鈴の耳にはまだその声の内容は何も聞こえてこない。だが徐克右の必死の口調に体がふるえ出す。
「俺のことはいいんだ。陛下の御為なら死ぬ覚悟はいつでもできている。…あいつらは俺が引きつける。頼む」
徐克右の声に祈りにも似た響きがこもる。
「警吏も敵かもしれないんだ。家には戻るな。あんたの家族まで巻き込むことになる」
「そんな…」
「本当にすまない。でも…あんたにしか頼めない。頼む…陛下に」
その声のどこに背中を押されたのか。夕鈴は手にした小刀を持ったまま走り出した。
徐克右が夕鈴の名を聞かなかったことに気がついたのは村を抜けだした後だった。
それ以来夕鈴の後を追う気配を逃れての逃避行が続いている。もう弟が待つ家へと帰ることはできなかった。
夕鈴は森のはずれの町で、今夜の宿を頼もうとしたのだ。ところがそこで追っ手の気配を感じた。明らかに商人ではない旅人。それが徐克右が言っていた追っ手かもしれないと夕鈴は宿には入らず逃げ出した。それは正しかったのだ。一度は頼んだ宿を抜けだして宿を見上げ、夕鈴は部屋の中に押し入ってきた何人もの影を見た。あの時の恐怖は忘れられない。そのまま町を抜け出して夕鈴は森の中に逃げ込んだ。何もかもが恐ろしかった。ただ一つだけはっきりしていたのは家に帰ることはできないということだった。青慎を巻き込むことになる。あの時、徐克右は言っていたではないか。この小刀を王都へと。それを果たせば家に帰れる。
森を出て別の町に入ろうとして夕鈴は驚いた。町の外れの高札にはいつの間にか夕鈴の似姿があった。理由は示されないまま連れてきた者には賞金を与えると書かれている。この時代地方の領主が美しい娘を見初め、妾として強引に館に連れ込むことは決して珍しくはない。追われている娘だと町中に知られてしまった以上夕鈴は町に入ることはできなかった。

    *******

「まだ陛下の行方はわからないのですか」
白陽国王宮の一室、王の執務室で李順はうめくようにいった。王である珀黎翔が執務に励んでいる時は水を打ったように静まりかえり、ただ珀黎翔が鋭く問いただし、あるいは決済をする声だけが聞こえるのだが、今は部屋は完全に静まりかえっていた。
「今のところ手がかりなしだね」
そう答えたのは李順の真向かいの窓枠に腰を下ろしている黒づくめの小柄な隠密だった。珀黎翔に仕える浩大である。珀黎翔は有能な者しか身近に近づけないので珀黎翔から直接命令を受ける立場にある浩大はこの国の隠密の中でもトップクラスであることは間違いなかった。
「それにしても陛下らしくないよな」
浩大が肩をすくめる。
「まったくこちらに連絡もしてこないなんてさ」
「記憶を奪われる毒を投与された以上、仕方がありません」
李順は素っ気なく答える。
「いや、目が覚めて記憶がないとなれば人のいる場所を避けて移動するのはいかにも陛下らしいです」
視察に向かっていた珀黎翔が毒を投与されて姿を消したことは極秘事項だった。早馬でその事実を知らされた李順は箝口令を敷き、犯人をとらえると同時に尋問を指示、自身は王都にとどまり浩大を派遣して珀黎翔の行方を探させていたのだ。
「陛下が人里を避けて移動しているというのはまさしく陛下らしいですよ」
李順は小さくため息をついた。
「記憶のないところに敵に都合のいいような情報を刷り込まれるのを恐れているんでしょう。見覚えのある場所か人を捜して密かに移動していると見た方がいい。もっともそうなると陛下ですからね。探し出すのは至難のことでしょうが」
浩大はうなずいた。そして自分が担当していない方について確認する。
「それで、その敵さんの方は?」
「口を割らせた後はもちろん処分しましたとも」
そういいながら李順は眼鏡を押し上げた。その声に冷ややかな色が混じる。
「陛下を害し奉ろうとしたんですよ。死罪が相応です」
「おおさすが氷の側近だよな」
浩大は肩をすくめる。
「それでこそ陛下も留守を安心していられるというものだろうけれどさ」
「ごたくは結構」
李順は部屋の中を歩きながらうなった。
「そちらはさっさと片がつきましたが、問題は陛下です。記憶を失った後、どこにいらっしゃるのか」
「敵の素性が割れたから徐のやつに解毒剤を奪いに行かせたんだろ」
浩大の問いに李順はうなずいた。
「無事に解毒剤を奪い取ったことは報告があったのですが、その後が問題です。徐と連絡がとれません」
「陛下がおそわれたところはまだ敵が多い地方だからなあ。陛下も軍で叩き潰せばいいものを。なまじ敵に恩情をかけるからこういうことになるんだよ」
浩大の言葉に李順はうなずいた。
「まったくもって同意ですが、それは仕方ありません。陛下は決して恐ろしいだけの狼陛下ではない。それはあなたも知っているでしょう」
さらりと李順が言ったこの言葉こそ白陽国の重大な秘密の一つだった。狼陛下と恐れられ、冷酷非情、戦場の鬼神とうたわれる珀黎翔は決して恐ろしい専制君主ではなかった。優しい心を押し隠し、怖くて強い王を演じているのだ。
「で、俺はこの後どうする?」
「陛下があなたを国外視察から呼び戻してくださっていたことが幸いしました」
李順は深くため息をつき、立ち止まった。
「とにかく陛下には記憶を取り戻していただかないと。あの地方で記憶を失った陛下が万一また敵に教われでもしたら大事です」
「軍を出して陛下の探索に向かわせるのも一つの手じゃないの?」
浩大の言葉に李順は首を振った。
「それで陛下が記憶を失っていることを大々的に敵に知らせるんですか?。最悪の結果を招きかねません。あくまでも陛下はお忍びで視察に出ており連絡がとれないのであって、記憶を奪われたわけではない。そのために下手人を法に照らしてさっさと…」
「処分しちゃったんだよな。李順もやるよねえ。…まあ、わかった。俺はまず徐のところに向かって解毒剤を手にいれ、そして陛下に飲ませればいいんだよね」
「まあ…そういうことになるでしょうが」
李順はまっすぐに浩大を見た。
「行ってもらえますか」
「いいさ。俺に命令できるのは陛下だけなんだけれどね。その陛下にもとに戻ってもらうためにはあんたの言う通りにするのが一番安全そうだし」
浩大は軽くうなずいて見せた。
「それじゃ、行ってくるわ」
「一つ問題が」
李順はため息をもう一つ漏らした。
「記憶を失った陛下はきっと狼陛下ではなくなっていると思うんですよ。だから危険なんです。一二を争うほどの剣の腕も、本人にそのつもりがなければ使うことができないでしょう。今の陛下は普通の青年と同じ状態だと思うんです。こちらの救出より先に敵に捕らわれたら」
わずかに李順は身震いした。
「この国は陛下あっての平和を保っているんです。それも狼陛下である陛下の強靱な意志があればこそ。なんとしても陛下を取り戻さなければならない」
「わかった」
浩大もまたまじめな表情になった。
「行ってくる。まずは徐の奴を探す」
「報告は随時お願いします」
その李順の言葉にひらひらと手を振って浩大は部屋を出て行ったのだった。



「望みは叶う永遠に」再録集29に再録(初出は2012,12,29冬コミ発行
イベント参加のお祭り企画 
top狼陛下の花嫁小説>望みはかなう永遠に