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「桃の香り、呼ぶ想い」初期再録集2に再録(初出2011,3,27東京コミックシティ発行
珀黎翔×汀夕鈴
宮中の行事の一つ桃の節句。
正妃でない夕鈴の存在が天の怒りに触れた・・・!
それは真実かそれとも…
桃の香り、呼ぶ想い

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 春の香りを乗せて風が吹きすぎていく3月。白陽国では寒さもゆるみ、早咲きの花が咲き始めていた。若き王珀黎翔が代替わりで王になってから初めての3月である。この時期は王宮では様々な儀式が行われる。代替わり当初は乱れた国内を建て直し、外敵の侵攻を自ら軍を率いて討ち果たした珀黎翔も、ひとまず国内が安定してくるとそのような様々な行事を執り行うことになる。
 王のただ一人の妃である夕鈴が住まう後宮も行事とは無関係ではいられない。
 「夕鈴様、陛下がお渡りになられますが、いかが致しましょうか?」
 後宮の入り口で礼を取り、女官が声をかける。
 「どうぞ、お通ししてください」
 そう答えて夕鈴は手慰みに縫い取りをしていた刺繍を脇に置いた。
 「妃よ、今日は常より早く顔が見られて嬉しいぞ」
 そう言いながら入ってきたのは珀黎翔である。同時に片手を軽く振った。心得て女官たちが音もなく退室していく。珀黎翔の後に付き従ってきたのは王の側近である李順だった。男子禁制の後宮ではあるが、白陽国はさほどその規則は厳しくない。
 女官たちが出払ったのを見て最初に口火を切ったのは李順だった。
 「ずいぶんと刺繍も上達したようですね、夕鈴殿」
 「おかげさまで」
 夕鈴はうなずいて見せた。その口調はとても王の妃と側近の会話ではなかったが、珀黎翔も何も口を挟まない。
 「刺繍をしてみせるのも臨時花嫁の仕事。陛下のためにその身の回りの品を作るのもお妃らしさの演出ですから。がんばってください」
 「任せてください!」
 夕鈴は力強くうなずいて見せた。李順が近づいて夕鈴が縫い取りをしていた刺繍を取り上げる。
 「……どうですか?」
 幾分心配そうに夕鈴はのぞき込んだ。李順は返す返すその刺繍の出来を眺めていたがややあってうなずいた。
 「まあ……及第ですかね。しかし、もう少しセンスのよい配色でお願いしたいです」
 李順は刺繍を小卓の上に置く。
 「センスは……難しいです」
 夕鈴はため息をついた。
 「……本当に二人ともよく頑張ってくれているよね」
 一方珀黎翔は椅子に腰を落ち着けて、にこにこと笑っていた。刺繍の出来にはさほど興味はないようだ。
 「李順、夕鈴はがんばってくれているんだからそう厳しくお妃教育の結果を検分しなくても」
 珀黎翔の取りなしに、李順はわずかに眼鏡を押し上げた。肩をすくめてみせる。
 「しかし陛下、夕鈴殿は正妃を迎えろという貴族の言葉を退けるだけの教養を見せつけてもらわなければなりませんので」
 「まあ……それもそうだけれどね」
 臨時花嫁。夕鈴は珀黎翔に降るように持ち込まれる花嫁候補の姫たちを退けるために雇われたバイトである。本当の妃ではない。
 珀黎翔の側近である李順は、本来夕鈴が本物の妃であればこのような言い方をできる立場ではないのだ。だが、上司とバイトとなれば別である。
 いつでも臨時花嫁の首をすげ替えられるように、背後の出自がわからない下級妃として後宮に入った夕鈴だった。夕鈴のお妃教育は珀黎翔の側近である李順が見ており、一応形だけの後見ということにもなっている。
 「それにしても今日はこんな早い時間に後宮に来られる予定でしたか?」
 そう尋ねながら夕鈴は茶器が用意されている卓の方へと近づいてお茶を入れ始めた。珀黎翔が後宮を訪れた時はまずお茶を出すという習慣もすっかり定着していて女官たちが次々とおいしいと言われるお茶を用意しておいてくれるのだ。
 いつもの手順でお茶をいれる。後宮にあってもまずお茶をいれる一番大事なことは毒物が入っていないことを確認することだった。珀黎翔は王宮内でも毒を盛られ、あるいは切りつけられることもある日々を送っている。
 夕鈴が差し出したお茶を、珀黎翔はおいしそうにすすった。もう一杯を李順へと差し出して、夕鈴は自分にもお茶を用意してから椅子を引いて座った。
 「相変わらずおいしいね、夕鈴」
 後宮で人払いしてしまうと珀黎翔は子犬陛下へと変化する。
 「確かにいいお茶です。夕鈴殿も入れる手さばきがうまくなりました」
 こちらは姑のような李順だったが、一から十まで宮中のことは教えられている夕鈴は李順に頭があがらない。
 「それで今日は何か?」
 夕鈴は改めて尋ねた。こんな早い時間から李順ともども後宮へ現れるとなると、たいてい何か起こっている。お妃がらみで夕鈴に何かしてもらいたいということが多々あったのだ。
 「うーん」
 珀黎翔はうなり、李順へちらりと視線を向けた。
 「私が説明しましょう」
 李順は茶器を脇の小卓の上に置いた。ふわりと甘い茶の香りが立ちこめる。
 「お願いしようかな。僕はあんまりあの行事に詳しくないんだよね」
 「前の時は陛下は戦争に行かれていましたから。まあ私も詳しいというわけではありませんが」
 李順はそう応じて体の向きを夕鈴の方へと向けた。
 「宮中にはいろいろな行事がありますが。この季節に実はかなり面倒な行事があるんですよ」
 「面倒な……行事?」
 夕鈴は繰り返した。そしてやっぱり長い話になりそうだと思う。
 「簡単に言えば、まあ神前の祭りです。厄災を払って宮中の安全を祈願するというものなのですが……」
 人の形代になる人形を神前に捧げ、身代わりにして厄を払う。
 「ああ、わかります。ひな祭りですよね」
 夕鈴は大きくうなずいた。下々の生活にもその祭りは入ってきていた。
 「多少意味合いが違いますが、時期はその時期ですよ。一般の民においては女の子の健やかな成長を祈っての祭りですし儀式ではありませんが、宮中では……」
 李順は大きくため息をついた。
 「簡単に言えば後宮の正妃が主催する行事になります」
 「…………それって私じゃないですよね?」
 夕鈴は尋ねた。
 「私は妃であって正妃じゃありませんし。だいたい臨時花嫁ですし」
 「僕は儀式は誰がやってもいいと思っているけれど?」
 珀黎翔が口を挟んだ。あまり夕鈴にさせたくはないといった表情だ。
 「現実に後宮で妃と言えば夕鈴なんだし、夕鈴に頼めばいいだろう?」
 「陛下は口を挟まないでください」
 李順はため息をついて見せた。
 「率直に申し上げて、この儀式そのものに我々はさほど意味を見いだしていません。神に頼るより人に頼れというのが陛下と私にとって一致した見解ですし、何より、宮中の海千山千の貴族がこんな儀式に頼るはずもありません。……実はこの儀式は開催せずに無視を決め込もうとしていたんですよ」
 「何しろ儀式を一つ行うにもお金がかかるからね。民にも潤いがある祭りなら行ってもいいかと思ったが、こればかりはな……」
 幾分珀黎翔の口調に苦々しい色が混じった。
 「この儀式は違うんですか?」
 夕鈴の問いに答えたのは李順だった。
 「そうなんですよ。何しろ主催が正妃です。後宮での力関係ひいては後宮に妃を治めている貴族の格式の関係を宮中で見せつけるための行事……と言い換えてもいいかもしれません」
 李順の言葉を珀黎翔が引き取る。
 「そんなものは必要ない……と考えていたわけなんだ」
 確かに珀黎翔にとっては貴族の実権が拡大しかねない行事は精選したいところだろう。国内が麻のように乱れ、汚職がはこびったのも、貴族の圧倒的な権力にへつらう者が多々いたためなのだ。
 「もちろん儀式そのものをすべてやめるというつもりはなかったよ。簡略化して、祭司たちに行わせる予定だったんだ。まあなんと言っても女の子の祭りだからね」
 珀黎翔は夕鈴にほほえみかけた。
 「それが……だめになったんですね」
 夕鈴はつぶやいた。
 女の子の祭り云々というあたりは別にして、どうして簡易バージョンでのひな祭りがだめになったのか薄々想像がついた。
 「まったく、朝の会議で陛下の御前でこのひな祭りの儀式が執り行われないのは民にとっても不安となり、近隣の諸国にもその余裕がないのではないかと思われるのはまずいと愚考しますので……ですよ!」
 かなり腹に据えかねたらしい。李順は口元を引きゆがめた。
 「何が、愚考ですか!。まったく国庫も無尽蔵のお金があるわけじゃないんですよ!。治水のためにも予算が必要なのに……あの貴族は根回ししていたにきまっています!」
 李順の説明によると、朝の執務が一段落したところでその貴族が口火を切って、ひな祭りの儀式を昔のように執り行うように求めたらしい。その言葉にはかなりの貴族が同調したとこのことだった。
 「……つまり、押し切られたってわけですね」
 夕鈴はそうつぶやいた。
 「その通りです!」
 李順はうなった。
 「まあまあ落ち着いて」
 珀黎翔の方はあまり朝のやりとりには重きをおいていないようだった。李順をなだめる側に回る。
 「さすがに今回は氾大臣も複雑な表情だったね。あの人は巻き込まれていなかったのがよくわかったよ」
 「それはそうでしょう」
 李順は幾分落ち着いたように答えた。
 「何しろ氾紅珠姫を後宮へ入れたいという氾大臣にとってはどう転んでもやりづらい議案ですからね」
 幾分あたりに沈黙が流れる。ややあって夕鈴は首を傾げた。ここにその話題を持ってきたということは、もうひな祭りを宮中で行うことは決定事項になったのだろう。だが、それには大きな問題点がある。
 「それで……どうするんですか?」
 夕鈴は尋ねた。
 「この後宮に正妃はいないのに……」
 「まあ……だからね。夕鈴が代行するしかないと思うんだよね」
 「ええ……!」
 そればかりはさすがに夕鈴もためらった。
 「だって……正妃が主催するんですよね?。それを私がやるのはまずくありませんか?」
 夕鈴の言葉に李順は大きくうなずいた。
 「もちろんまずいですとも!。しかし、他に道はありません」
 「あの……」
 そんなに苦悩しつつ言わないでほしい。どう反応したものか困惑してしまう。そう思ううちにも李順の言葉はつらつらと続いた。
 「今、陛下が正妃を迎えるわけにはいきません。ようやく狼陛下の存在が宮中、国内貴族、諸外国に認知されはじめ、外戚を持たずに宮中を切り回していくのだと理解去れ始めたのに。こんなところで正妃をもらったらもとの黙阿弥です。だから……臨時花嫁であることは重々わかっていますし、屋根の上に上ってしまうような妃ではありますが、夕鈴殿にお願いしたいんですよ」
 こういう時でも嫌みが入るのが李順だったが、確かに妃の身で屋根にあがったのは失敗だったと思っているので言い返すことができなかった。
 「でも……そう貴族の方が言い出したのって……陛下に正妃を迎えてほしいからですよね。私がやったらいろいろ難癖をつけてきそうなんですが……」
 もちろん妃としてはいささか問題がある身なのはわかっている。さすがに屋根に登ってしまったことはおおっぴらにはなっていないが、貴族の実家もないうえに、妃としての教養、素養もない。李順があいている時間を見つけてはお妃教育にやってくるし、夕鈴も仕事だと思っているので一生懸命取り組んでいるが、やはり氾紅珠を目前にするとお妃にふさわしい姫というものはいるところにはいるんだなと思うばかりである。
 「それは僕が押さえるよ」
 にこにこと夕鈴の側にいるのが楽しくてたまらないように笑いながら李順と夕鈴の会話を聞いていた珀黎翔が口をはさんだ。
 「夕鈴以外に頼める相手はいないし。まあ……今回の件は少し裏があるような気がしているんだけれどね」
 「裏……ですか?」
 夕鈴は首を傾げた。不意に珀黎翔のまとう気配が変わる。あの鋭いまなざし、冷酷非情とおそれられる狼陛下の気配へ変化する。
 「率直に言ってしまえば、ある程度の身分の貴族には私が夕鈴を正妃として遇していることは知れ渡っている。それにも関わらず正妃が必要なこんな儀式を正式に行うことを言い出すのは……何か裏があるはずだ」
 「それは……自分の娘を正妃にしたいから……じゃないんですか?」
 「その望みはない。常に一瞬の誤解もないようにはねのけている。……ただ、心配なのは」
 珀黎翔は口を閉ざした。夕鈴は珀黎翔の言葉が止まったことに不審を抱いて聞き返す。
 「心配なのは……?」
 「いや、僕の考えすぎだろう。……ひとまず夕鈴にこの行事の主催を僕と一緒にお願いできるかな」
 「あ……なんだ。私一人じゃないんですね。よかった。陛下と一緒なんですか?」
 「ええ」
 話に一段落ついたと見て、李順が口を挟んできた。
 「まあ行事に見栄えがするのはもちろん陛下ですし、下々のひな祭りと違って、神前行事ですから、夕鈴殿は陛下と一緒にいていただければすむものなんですが」
 「それなら……がんばります」
 夕鈴は力強く言った。
 「陛下によけいな心労をおかけするわけにはいきませんし、大丈夫です!」
 「そうですか。では夕鈴殿。よろしくお願いいたします。……ああ、もちろんこれは臨時花嫁の業務から多少逸脱するのでお手当はいつもより色を付けさせてもらいますね」
 「それは……素直に喜んでいいんですか?」
 夕鈴は思わず尋ねた。
 「あなた……本当に失礼ですね!。それはいつも私が悪巧みしているかのごとき発言ですよ!。いやなら結構です!。特別手当は取り下げ……」
 「ああ!。ごめんなさい!。嘘です!。お願い、手当くれるんでしたらお願いします」 
 夕鈴はあわてて声を上げる。何しろ借金生活はまだ解消されていないのだ。後宮の備品はあまりにも高価で、その備品を壊してしまった夕鈴の借金返済生活はまだまだ長く続きそうだった。
 「では、また後ほど。改めて儀式の日取りや夕鈴殿の手順についてご説明にあがります」
 そう言いおいて李順は立ち上がった。
 「もう行くのか?」
 残念そうに言い、珀黎翔も手にした茶器を置く。
 「結果的に時間があまりありませんので。貴族どもの思惑に乗せられるのは不愉快ですが、準備はある程度しなければなりません。陛下も執務の方へお戻りいただきますよ。……ああ、夕鈴殿はどうぞそのままで。やがていつものように氾紅珠殿が参られるでしょう。氾大臣の思惑もわかるでしょうし、よろしくおつきあいしておいてください……陛下、よろしいですか」
 李順に促されるようにして珀黎翔も立ち上がった。
 「また夜にはくるよ。そのときにはある程度儀式の内容についても説明できると思う。それじゃまたね」
 「おいしいお菓子を用意してお待ちしてます」
 そう答えて夕鈴は李順と珀黎翔が出ていくのを見送ったのである。




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