イベント参加のお祭り企画
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「満ちていく心」初期再録集1に再録2913,8,18に再販予定(初出は2011,1,23)
A5P210 2000円分定額小為替+290円分切手+宛名カード1枚
珀黎翔×汀夕鈴
夕鈴をおいて視察に出かけるという珀黎翔に
夕鈴は共に行くことを願う。
だがその往路に立ちふさがったのは・・・
二転、三転する出来事、相手は敵か味方か、そして真実は・・・
***********
「……それは賛成できません」
聞こえてきた声に夕鈴は家具を磨く手を止めた。
ここは白陽国。若くして王位を継いだ珀黎翔が治める国である。即位するやいなや麻のように乱れた内政を徹底した粛正で建て直し、王の代替わりをねらって攻め寄せてくる外敵を討ち果たし、国を統一した武王でもある。
冷酷非情、戦場の鬼神と珀黎翔を、人は恐れを込めてこう呼ぶ。狼陛下……と。
夕鈴はその珀黎翔のたった一人の妃だった。貴族の後ろ盾を持たぬ美貌の妃。王はその妃を寵愛し、他の妃を持てという縁談の言葉を次々と退けてしまうのだとか。
(もっともその正体は縁談を退けるために雇われた臨時花嫁なんだけれど)
夕鈴は心の中でつぶやいて、また手を動かして家具を磨きあげ始めた。
夕鈴のもう一つのバイトは後宮の人の少ない場所の掃除婦である。最近は後宮で夕鈴も妃として顔が割れまくっているために掃除をするのも人がいない場所をねらってやらなければならない。
「そう言うお前の理由は理解している」
答える声は珀黎翔だった。
珀黎翔と李順が回廊をゆっくりと歩きながら小声で話しているのだ。
ふつうなら聞こえないような小声だがが、夕鈴が今いる区画は後宮でも人がいない場所だったためか、ちょうど回廊の反射のいい場所にいたためか、予想もしない声が聞こえてきた。
「……お忍びで自ら動かれるのはいかがなものかと思います。まして送り込んだ密偵が戻ってこないような場所では」
(ずいぶんときな臭い話をしているみたいだけれど)
夕鈴は心の中でつぶやいた。基本的に王宮内よりも後宮の方が秘密の話をするのに向いている。王宮の中では多くの官僚が回廊や部屋を行き来している上に、主立った貴族は王宮内に自分の部屋を与えられており、それぞれの貴族に使える使用人たちの部屋もある。
だが、後宮は基本的に女の園だ。その場に立ち入ることができるのは珀黎翔本人および、珀黎翔が許した側近だけである。警備の兵が入ることもあるが、女官の中には武技に長けた者を配置しているため、人の出入りは王宮に比べてはるかに少ない。
(後宮で重大な話や決定が行われるのも見たけれど……)
夕鈴は
二人の会話を盗み聞きするつもりはない。
珀黎翔はこの国の最高権力者であり、その会話はすべてが機密でもある。ただの臨時花嫁にはそんなものを担うのは重荷でありすぎる。
(それでなくても……私は国家機密をいろいろ知ってしまっているし)
国家機密の最たるものは、もちろん珀黎翔のこの優しい人柄だろう。この人柄を押し隠し、強い王様を演じていることは最大の国家機密だ。
李順が夕鈴を臨時花嫁として雇っていることもある意味大問題だろうが、それが物議を醸すとしたら珀黎翔に妃を己の娘から差し出したい貴族たちの間のこと。諸外国との問題になるのは強い意志を持った覇王かどうかという点だ。
(私が知っているのは……本当に大事な秘密なのよね)
これ以上の秘密を引き受けるのは夕鈴の手にあまる。だが、風向きが変わればこの二人の声も聞こえなくなるだろう。
だが、ちょうど回廊の響く場所にいるのか、漏れ聞こえてくる李順の声はが、途切れることはなかった。
(これって私がここにいることを伝えた方がいいかしら)
夕鈴は家具を磨きながらそう考えた。どう考えても珀黎翔も李順も夕鈴がここにいることは気がついていない。
それに何より鬼の上司である李順の声が緊張感をはらんだものだ。
「ご判断の決め手になるだろういくつかの条件は申し上げました」
「そうだな。お前の状況分析はいつも正確で助かる」
珀黎翔の言葉は狼陛下のものだった。それがこんな遠くからでもわかる。
「陛下が一度お決めになったら私の言葉では動かせないことはわかっています」
李順が小さくため息をついた。
「よくわかっているな」
珀黎翔が笑った。
「……ではお妃様の件は?」
李順が訪ねる。
(え……?)
今度こそ夕鈴は顔を上げた。
(私……?)
「お妃様を連れていくのはどうされますか?」
「うーん」
珀黎翔が考え込む。
「正直、陛下が夕鈴様をお連れになった方が、今回は安全かと思いますが、私としても後宮第一の妃の身の安全は確保しておきたいところです」
考え込むように珀黎翔の言葉が途切れる。
「……なるほど夕鈴を連れていくことにお前は反対なんだな?」
「……」
珀黎翔の言葉に応じる李順の声は聞こえなかった。
「そうだな……夕鈴には私が行くことは伝えねばならないだろうが……」
「私は最終的に陛下のご判断に従います」
「夕鈴を置いていくのも心配といえば心配だ。私の留守に何かたくらむ者がいるかもしれない」
「夕鈴殿なら陛下の留守を守ることは十分にできるのではないかと思います」
「今のところ妃に対する暗殺などは減っているからな。だが、狼陛下がいなくなればこれ幸いと仕掛けてくる可能性は否定できない」
「後宮は万全の体制で守ります」
その先は聞こえなくなった。回廊の音が響く場所を通り過ぎたためだろう。
「私が一緒に行った方が陛下は安全……?」
夕鈴は家具を磨く手を止めず口の中でつぶやいた。
「それなら……」
どう振る舞うか夕鈴の気持ちは決まっていた。
そろそろ掃除のバイトが終わる時間が迫っている。珀黎翔のただ一人の妃としての時間が始まる。
珀黎翔と李順が後宮に来たのはもちろん秘密の話をするためもあろうが、夕鈴に会いに来たはずだ。なんと言っても妃と狼陛下の仲の良さをアピールしなければならない。
夕鈴は手際よく桶を片づけると立ち上がった。女官たちの元へ戻る前に服装を整えておかなければならなかった。
******
「夕鈴様、どちらに行かれていたのですか」
服を整えて後宮の夕鈴の住む部屋に戻るや女官たちがあわてて近寄ってきた。
「あ。ちょっと庭を見ていたの」
「すでに陛下がお渡りになっています。どうぞこちらへ」
軽く髪を整えられ、唇に紅をさされてから部屋に入っていくと珀黎翔が椅子に座っていた。その傍らには李順が控えている。
「ようやく来たか、夕鈴」
珀黎翔がにっこりと夕鈴に笑いかけた。
(あ……狼陛下だわ)
同じ顔で笑っているのに、狼陛下の時と子犬陛下の時とどうしてこんなに笑顔が違ってみえるのだろう。
それが夕鈴には不思議でならない。狼陛下を装っている時の珀黎翔は、端正な美貌も相まって王の威厳にあふれている。それこそ貴族の姫たちがこぞって珀黎翔の寵を競うのも当然だと思われるほど。
(狼陛下の時は本当にどきどきするけれど……私は子犬陛下の方が好き……よね?)
夕鈴は心の中でそう言い聞かせた。
珀黎翔の傍らに立っている李順がちらりと夕鈴に視線を送った。
(いけない、いけない。……あれはさっさと臨時花嫁の仕事をしろって顔だわ)
周りにはまだ女官が控えている。二人の仲むつまじい様をあたりの女官には常に見せつけておかなければならない。
基本的に今夕鈴付きの女官は珀黎翔が梃子入れた者たちであり、信用がおける。だが、夕鈴の身近に仕える女官たちから狼陛下の私生活を聞きだそうとする貴族もいることだろう。
「お越しくださっているのに遅れまして、申し訳ありません」
夕鈴はわずかに頬を染めてそうささやいた。
頬を染めるのは特に演技は必要としない。
この見目麗しい若き王、白陽国の最高権力者がゆったりと椅子に座っている様を目の前にして頬が紅潮しない娘はいないだろう。
「なんの」
珀黎翔は笑った。
「我が最愛の妃を待つのもまた楽しいものだ。……皆、下がれ」
その珀黎翔の言葉にただちに女官たちが席を外す。
あたりに人の気配がなくなるのを待ちかねたように珀黎翔はほっこりとした笑顔を見せた。
「もういいよ。夕鈴お疲れさま。お茶いれて、お茶」
「あーはいはい。李順さんもどうぞ、座ってください」
夕鈴は李順にも椅子をすすめてから茶器が用意されている小卓へと向かった。もうここのところ珀黎翔が後宮へ現れたらまずはお茶を一服出すことが慣例化している。
差し出された湯のみをおいしそうに飲み干してから、珀黎翔はにっこりと夕鈴にほほえみかけた。
「今日は……掃除のバイトの日だったっけ。バイトをしている間にくると夕鈴の行方を女官たちが探してしまうな」
「そうですね」
李順も考え込む。
「夕鈴殿には掃除のバイトを少し控えていただいた方が安全でしょうか」
「あ、それは困ります」
夕鈴は茶器をおいて振り返った。
珀黎翔がぽんぽんと椅子の自分の傍らの場所をたたいたので、どうしたものかと思いつつもそこに座る。
「あのバイトもふつうよりずいぶん高給なので。借金が早く返せますし」
「そっか……」
残念そうだったが珀黎翔は強く押すつもりはないようで引き下がった。
「陛下は夕鈴殿の掃除のバイトには反対なんですか?」
一方李順は幾分興味をもったように問いかける。
「私としては後宮もきれいになりますし、そのたもろもろ利点が多いと思っているのですが」
「うーん。今のところ後宮で限定しているからいいんだけれどね」
珀黎翔は小さくつぶやいた。
「掃除のバイトをしていて他の貴族に見初められたらどうする?」
「……陛下、それってあり得ないですから」
夕鈴はあきれてため息をついた。
いったいどこの世界に掃除をしている女官に惚れる貴族がいるというのだろう。
「ほんと……バカップルですね」
ざくりと切り込んだのは李順である。
確かに夕鈴が聞いてさえそう思ったのだから、李順がつっこむのも当然ではある。だが、その言葉を聞いて夕鈴は思わず顔が赤くなるのを感じていた。
「夕鈴殿も困ってますよ。陛下、そこまでご夫婦演技は必要ありませんから」
李順が珀黎翔に釘を刺す。
「……別に演技ってわけじゃないんだけれど」
ぼそぼそと口の中でつぶやく珀黎翔はどこから見ても子犬陛下だ。
「まあ、掃除のバイトの件はいいよ。そうだ、夕鈴」
珀黎翔が顔を上げ、さらりとした口調で告げた。
「ちょっと数日城を空ける予定なんだ。李順は残していくから夕鈴は安心して後宮にいて。狼陛下として留守中、妃が後宮にいることを望んでいるし」
「…………」
李順は黙ったまま視線をそらしている。
(これ……さっきの話の件……よね?)
夕鈴は心の中で考えた。
(陛下は……私をおいていくことを選んだんだわ)
後宮の警備は厳重にする。連れていくのも置いていくのも危険は同じ。だが、連れていけば珀黎翔の危険度は低くなる。
ならば夕鈴の気持ちは決まっていた。
「陛下、視察にお出かけですか?」
「え……そうだよ」
夕鈴に問いかけられることは予想していなかったらしい。珀黎翔はらしくもなく口ごもり、そして答えた。
「だったら、妃が同行した方がいいのでは?」
夕鈴は首を傾げて見せた。
「どうせ陛下が行くってことは、行った先で貴族の館に逗留なさるんですよね?。そうしたら妃がいた方がいいんじゃないですか?」
「それは……そうなんだけれどね」
珀黎翔が幾分迷うように李順へと視線を向けたことを夕鈴は見逃さなかった。
「臨時花嫁としてはここはついていくべきですよね。李順さん」
「……それは、そうしていただけるとこちらとしては大変助かりますが」
李順の歯切れはいつもより悪かった。
鬼の上司と言いたくなるほど、李順の通常の言動は一貫して揺らがない。
その李順には珍しく口ごもるのは珀黎翔の意を汲んでのことだろう。
だが、本心では珀黎翔を一人で行かせたくはないはず。
ここは李順に後押ししてもらうことにしよう。
「行き先に年頃の姫がいるという前情報もありますし……確かに行っていただきたい気はあるんですが……」
年頃の姫。
その李順の言葉は何か夕鈴のツボを押した。
「だったら、やっぱり陛下をおひとりではやれませんわ!」
もともとは珀黎翔が一人で行くより二人で行った方が安全だというあの会話がきっかけだった。
だが、行った先で貴族の姫が珀黎翔を接待するとなるとまた別の意欲がわいてくる。
自分でもちょっと不思議だなと思いつつ、夕鈴は声を高める。
「陛下の側に私がいたら、よけいな接待なんてないと思いますし」
「……それは、僕が貴族の姫に接待されるのはイヤってことだよね」
ふと思いあたったように珀黎翔がつぶやく。その顔がほころんで満面の笑みを浮かべた。
「それは……その……」
言われて初めて夕鈴は自分が口走った言葉の意味に気づく。
「いえ、そういうことではなくてですね……私は臨時花嫁ですし、別に陛下が接待されても何か言える立場ではないですし……」
「もちろんそういうことなら一緒に行くよ!。李順、手配を」
なんでそんなにうれしそうなんだろう。だいたい、珀黎翔の言い方だと、夕鈴がその見も知らぬ貴族の姫に嫉妬しているみたいではないか。
「手配の件はお任せください」
李順の方は内心を気取らせない表情だった。軽く一礼して椅子から立ち上がる。
「では視察先のコウの所へは陛下が夕鈴殿を連れて行く旨を知らせておきましょう」
「よろしく頼む」
珀黎翔の言葉にこの場は終わったのだった。
******
数日後。
夕鈴は珀黎翔とともに王宮を後にした。冬の最中とはいえうららかな日差しで遠方への視察に行くにはなかなかのお天気といえよう。差し向かいで馬車に揺られつつ夕鈴は窓の外へと視線を送った。
馬車の周りは警護の兵が固めている。依然に離宮へ赴いた時と同じぐらいの警備の兵の数だ。
「どうかした?、夕鈴」
馬車の中で二人きりという気兼ねのなさゆえか、珀黎翔の口調は優しい。
「いえ、あの……そういえば私はこれから行く先のことよく知らないなと思って」
「そうだね……」
夕鈴の問いに珀黎翔は考え込んだ。
「夕鈴もある程度知っていた方がいいかな。……けっこうな大貴族だと思うよ?。氾大臣ぐらいには大貴族かな」
「コウ様でしたよね。陛下とお似合いの年頃の姫がいるという」
夕鈴は首を傾げ、思い返してみた。
後宮にこもることが通常の妃と違い、夕鈴は珀黎翔の執務室にも出入りする身だ。
時には異国の貴人を迎えることさえも最近はこなしている。だが、その過去の記憶の中に貴族のコウの名はなかった。
「姫か。僕はあったことはないけれどね」
あっさりと珀黎翔はいい、言葉を続けた。
「コウはやっぱり切れ者ではあるよ。氾大臣とは毛色が違うけれどね」
毛色が違うというのはどういう意味だろう。その夕鈴の問いに珀黎翔はあっさり答えた。
「まあ、なんというかな、貴族には珍しく武闘派なんだよね」
剣をとって戦う貴族というのは確かに珍しいだろう。
「宮中にお越しにならないというのは何か理由が?」
夕鈴の問いに珀黎翔は口元に冷ややかとさえ感じられる笑みを浮かべてみせた。
「前王の時代にはよく来ていたはずだから、僕の代になってから来ていないというのは間違いなく何らかの理由があるだろうね」
「理由……」
夕鈴は軽く身震いした。どう考えてもその理由は珀黎翔に対する不満としか思えない。
「うん、そうだろうね」
まるで夕鈴の心の声を聞いたかのように珀黎翔が同意する。
「僕に対する反逆の意志があるのかないのか……一応表向きはコウは今体調不良で王宮へは登庁できないって言ってよこしているけれどね」
「どうして視察を……?」
聞いてしまってから夕鈴はしまったと口を閉ざした。
考えてみれば珀黎翔がしゃべっている内容は国家機密ではないだろうか。臨時花嫁の夕鈴が軽々しく聞いていいような内容ではない。
だが、珀黎翔はうなずいて答えてくれた。
「コウが書面を送ってよこしたんだよ」
こともなげに珀黎翔はその書面の内容を明かす。
「体調不良で王宮へはいけないが、反逆の意志はない。ぜひ領地まで来てほしいって」
「あの……今更なんですが、その先を私が聞いてしまっていいんですか?」
あわてて夕鈴は珀黎翔の言葉を遮った。普段ならこういう時、止めに入る李順もいない。
夕鈴の言葉に珀黎翔は軽く首を振った。
「知っておいてもらった方がいいかと思って。氾大臣とは違うタイプだから夕鈴が油断するとは思わないけれど。こっちは油断すると寝首をかきにくるタイプだからね。気をつけてほしいんだよ」
「でも……そんな相手の領地に足を踏み入れてしまっていいんですか?」
「うーん」
珀黎翔は首を傾げた。
「相手がでてこないからね。こちらから人物を見定めにいくしかないかな……と」
「私……本当に来てよかったんですか……?」
「それはもう」
まったく夕鈴が疑う余地はなく、珀黎翔ははっきりと答えた。
「夕鈴に何かあると困るなとは思っているけれど、側にいてくれると僕がうれしいし……それに相手もこちらを見定めたいんだろうと思うからね。王が選んだ妃が何者か見せつけてやるのもいいかと思うからね」
「そういうことなら……かまいませんが」
「ただ……一つだけ」
珀黎翔は幾分口調を改めた。
「コウの館にいる間は僕から離れちゃダメだよ。表だって襲いかかってきたりはしないだろうけれど、やっぱり危険は危険だからね。」
珀黎翔の言葉に夕鈴はうなずいたのだった。
だが、珀黎翔の言葉は予想よりも早く現実のものとなった。
後半日もしないうちにコウが住む領主の館につくという頃合い。途中でいくつかの町に視察をかねてよっていたために、ここまでたどり着いた時には昼をすぎていた。
そこで不意に声が乱れる。
「陛下!、敵襲です!」
「……っ……」
夕鈴ははっと顔を上げた。
「うそっ!」
この仕事についてから、後宮から出ることは滅多にない。とはいうもののいきなり襲われることになるとは思いもしなかった。
「へえ……すごいな」
その声に夕鈴は振り返る。
「なにを……落ち着いているんです、陛下!」
「大丈夫」
珀黎翔はにっこりとほほえみかけた。外へと声をかける。
「何名だ。服装は?」
馬車の外へと馬を寄せてきたのは前方を守っていた護衛兵だろう。
「見たところ、7、8名で騎乗しております。弓をもって待ち伏せしていた模様、こちらは数名が怪我を。しかしながらそれ以上攻め寄せてくる気配はございません!」
「兵を下がらせ馬車を固めよ」
落ち着いた声で珀黎翔は指示した。
「まさか本当に仕掛けてくるとは思わなかったな……まあこちらの腕をみたいってところなんだろうけれどね」
「陛下……?」
「まあせっかくの誘いだ、受けてみるのもいいかもしれない……馬車を止め、馬をひけ」
「はっ、ただちに」
馬車の外で控えていた兵士がすぐに駆け去っていく気配。
「……っ!、陛下」
思わず夕鈴は腰を浮かせ、馬車を出ようとする珀黎翔の服の裾をつかんだ。つかんでいることにも自分では気づいていなかった。
珀黎翔は足を止め振り返る。
「大丈夫。これは予想のうちだよ。それにやつらのねらいは僕だろうからね」
優しい声だった。
「夕鈴はここで待っていて、すぐに片を付けてくるから」
珀黎翔はそう言いおいて、馬車の戸を開け、外へと出て行ってしまった。
「陛下!」
あわてて夕鈴は馬車の窓を引きあける。
外で珀黎翔はひらりと馬にまたがった。こんな場合なのに夕鈴は思わずその姿に見とれてしまった。王の執務服で鎧を着ているわけではない。だが腰に携えた長剣を抜いて右手にした姿は不思議なほどの威圧感があった。
不意に矢が空を切る音が響く。
「陛下……!」
夕鈴は思わず声をあげた。だが、軽く珀黎翔は剣を一閃する。
なんという剣技の冴え。
珀黎翔は飛来した矢を一瞬にして切って落とした。
「私を珀黎翔と知っての狼藉か!」
冷え冷えとした声が響く。
「一度は許そう。我が最愛の妃の目の前だ。命が惜しくば去るがよい。去るものは追わぬ。だが、刃向かうならば容赦せぬと主に伝えよ」
「…………?」
主というのはいったい誰のことを言っているのだろう。だが、その疑問に答えるものはなく、前方に見えた黒い服に身を包んだ男たちは馬の頭を巡らせてみる間に駆け去っていったのだった。
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