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「偽りのキス」初期再録集3に再録(2013,12,29再版予定)
珀黎翔×汀夕鈴
夕鈴が王宮の中で
妃としての地位を築いていくことに
危機感を覚える貴族はついに夕鈴を・・・


   *******

 「王を殺せ。妃もだ」
 決意を込めた響きで男はささやいた。
 「狼陛下、それに陛下の最愛の妃を……ですか?」
 思わずしもと言った声音でその言葉に応じた者がいた。部屋は閉じきられていたが、それでもたやすく口に出して無事でいられるような言葉ではなかった。
 「そうだ。王と妃だ」
 男は繰り返した。
 「あの二人を殺せ」
 「……それはなかなか実現不可能に思えますし、それに妃を殺す必要があるのですか?」
 驚いた口調を隠さぬまま、男に仕える家人はささやいた。思わずあたりを見回す。だが厚く扉を閉め切った部屋の中には二人の他の姿はなく、しんと静まり返っていた。盗み聞いた者はいない。男はほっと胸をなで下ろした。
 ここは白陽国である。先代の王から代替わりした珀黎翔が治める国だ。
 代替わりで乱れた国を徹底した粛正で建て直し、うち続く内乱を自ら軍を率いて制圧した若き王珀黎翔は冷酷非情の名を冠している。宮中での執務でもその容赦のない追求と即断即決の判断力に官僚の疲労が絶えないと家人は聞いていた。
 己を裏切った者は決して許さぬ。王に対して反逆を企てた者はすべて秘密裏に葬られたと噂が絶えない王でもあった。
 それが事実なのか、そうでないのかは知らぬ。だが、確かに王宮内でも長剣を携えた王の姿はある意味この王に逆らったらどうなるかわからないという恐怖を与えるものでもあった。
 一見なよやかな容姿、美貌で知られた生母の血を濃く引いた珀黎翔だ。だが、自ら剣を抜き放ち、襲い来る暗殺者を打ち倒した姿を、王宮内でさえも何人もの侍従や女官たちが目撃している。
 恐れられつつも珀黎翔は、文武に優れた王であると国の内外に広く伝えられていた。
 名門貴族から持ち込まれる数多ある姫を後宮にという申し出をことごとく断ってきた珀黎翔が、最近後宮に妃を入れ、その妃を大変愛おしんでいることを家人は知っていた。
 そして今二人が話し合っているのは他ならぬ珀黎翔の王宮内で登庁する名門貴族に与えられている部屋の一室だった。
 「殺すにしても……王だけで十分なのでは?ああ……」
 ふと思い当たって家人は言葉を続けた。
 「王本人を倒すのが難しいから……妃を殺すという訳でしょうか」
 家人の問いに男は首を振った。
 「そうだ。残念ながらな。もちろん標的はあの妃だ」
 男は悔しげにうめいた。
 「いや王より先に狙うべきはあの妃の方ともいえる。あの妃がいる限り、王は後宮に一輪の花さえも入れようとはしない。つまり女を差し出して王を思いのままに操ることは後宮にあの妃がいるかぎり不可能なのだ」
 男は唇をかみしめた。家人はわずかに身を震わせた。王と妃を殺せというのは主の本音だろう。だが、珀黎翔はたやすく殺せるような相手ではない。
 無力な妃なら殺せると男が考えるのは無理もなかった。
 「王本人はもちろん妃を殺すのは大罪です」
 王を裏切った貴族の末路は密かに噂として宮中を駆け回っている。珀黎翔の逆鱗に触れ一本残らず手足を切り落とされたとか、子々孫々の末代までも一族連座で首をはねられたとか。もちろん一門に連なる使用人とて王の怒りは逃れられないだろう。それほどの噂が流れても王に逆らおうとするのは愚かではないだろうか。
 「馬鹿め、正妃を殺すのが大罪なのだ」
 男は首を振った。
 「王家の次の後継者を孕む正妃を殺すのは確かに大罪だが。このままでは程なくあのお妃は正妃になってしまう。それは避けたい。いや、避けねばならんのだ」
 「…………」
 王や妃を殺すという点に置いてはあまり同意はできなかったものの、正妃があの妃ではまずいという意識は貴族に仕える家人には理解できた。今後宮のたった一人の主である妃は、身分も明らかになっていない。王の寵愛だけが頼りの後見の貴族を持たない妃なのだ。
 「しかし、そうたやすく妃を狙うことができるでしょうか?」
 家人の問いに男は首をふった。
 「やるしかないのだ。もしもあの妃がすでに子をはらんでいたらどうする?。王を倒しても妃に懐妊の兆しがあれば、その子供こそが第一王位継承者。他の王家の血を引く者が割り込む余地などなくなるのだぞ」
 確かに男が言うとおりだった。王を倒すというのならばそのたった一人の妃をも抹殺しなければ王位継承権で内乱が起こる可能性は否定できない。
 「……しかし、どうやらお妃には秘密裏に護衛がつけられているともっぱらの評判ですが」
 「それは間違いない」
 男は眉をひそめた。
 「だが、やりようはあるはずだ。どこかに。王と妃をともに葬り去る方法が」
 「…………」
 その主の言葉に家人は内心首を傾げた。武勇に優れたと諸外国からも評判の珀黎翔と、その最愛の妃をともに葬り去る方法など存在するのだろうか。とはいうものの、男にとっては主もまた珀黎翔の噂に負けないほどの暴君だった。男の言葉に対し家人が異議を唱えることはできなかったのである。

    ********

 窓の外では夏を告げる虫の音が鳴り響いている。太陽は中空にかかり暑さ厳しい折りだったが、ここ後宮はずいぶんと涼しかった。後宮は涼をとるために建物を囲む庭には水を引き込んだ小川もあれば木を植えた庭園もあり、わたってくる風は心地よい。その後宮のたった一人の女主人である夕鈴は、氾紅珠を相手に琴の練習に励んでいた。実は夕鈴は珀黎翔の側近李順に雇われた臨時花嫁である。国の内政が安定するに従って、利権を失った貴族の関心は代替わりした王珀黎翔のお妃問題へと移っていった。次々と持ち込まれる縁談を断る理由とするため、臨時花嫁として雇われたのが夕鈴なのだ。
 さまざまな事件を経て珀黎翔との間にはバイトではない関係が芽生え始めていたのだが、珀黎翔はもちろんのこと
夕鈴自身もその目には見えない関係がどういう感情によるものなのかまだよく分かってはいなかった。
 「とても上手になられましたわ、夕鈴様」
 琴を女官たちに片づけさせて、夕鈴と氾紅珠は後宮の一翼、夕鈴が住まう場所の居間へと戻ってきた。用意されていたお茶とお菓子を摘む。
 琴の楽譜を小卓の上に広げ、何回か失敗した場所をもう一度教えてもらい、夕鈴はほうっと息を吐いた。楽譜はそのままにもう一口お茶を飲む。
 「紅珠さんってお琴を弾くのも教えるのもうまいんですね」
 夕鈴は先ほどまでの合奏を思い返してつぶやいた。さすがに芸術方面に長けた家系だけあって、氾紅珠の琴の腕は並ならぬものがある。
 「いいえ、私はまだまだですわ」
 にっこりと氾紅珠がほほえむ。
 最初氾紅珠は名家の姫で、わがままを言い放題なのかと思った時もあった。だが、実際に会ってみると違っていた。さすがに氾史晴が掌中の玉のように慈しんでいるだけあって、氾紅珠はまさに正妃にふさわしい姫だと夕鈴も思う。
 本来夕鈴は下級役人の娘で琴を専門に習ったわけではない。このような臨時花嫁の偽装が解けそうなことは基本的には後見人がわりの李順が教えることが多いのだ。だが、今日のお妃教育に李順がこられないという連絡があったのは朝早くのことだった。ちょうど夕鈴のご機嫌伺いにやってきた氾紅珠が、小卓の上に広げられた楽譜を見て、よろしければ私がお教えしましょうかと申し出てこの琴の合奏となったのである。
 「兄が王宮に登庁するようになりましたら兄がお教えした方がさらに上達なさると思うんですけれど」
 氾紅珠は申し訳なさそうに言った。氾紅珠の兄は珀黎翔を恐れて登庁を拒否して屋敷に引きこもっている。美貌の氾家の一族は誰も彼もが芸術においても才を発揮しているものらしい。
 「紅珠さんのお兄さんは琴の名手でいらっしゃったから、もしも直接ご指導いただけたら私も確かにもう少し上達できそうですね」
 「恐れ入ります」
 にっこりと氾紅珠が笑う。
 「お妃様、氾紅珠様、陛下がお渡りになりますが、いかがなさいますか?」
 女官が居間の入り口に控えて夕鈴の意図を伺った。
 「あら……私、もうこれで帰りますわ」
 急いで氾紅珠が立ち上がる。一時は珀黎翔のお妃になりたいと言っていた氾紅珠だったが、父の氾史晴の思惑とは別に、夕鈴が後宮内の川へと落ちた折、珀黎翔に怒られた記憶が身に染み着いてしまっているらしい。氾紅珠は珀黎翔をたいそう恐れていた。
 「夕鈴様、陛下には直接ご挨拶できず、ご無礼をと申し上げておいてくださいませ」
 「わかったわ」
 深窓の姫君である氾紅珠が、狼陛下全開の珀黎翔に怒られては確かにトラウマになるだろう。夕鈴は氾紅珠が足早に立ち去っていくのを見送った。
 ちょうどすれ違うようにして珀黎翔が女官の先導を受けて居間へと入ってくる。その後ろに李順が控えているのを目に止めて夕鈴は一度目を瞬いた。
 これはどうやら仕事の話らしい。後宮は基本的に男子禁制だが、白陽国ではそこまで規律は厳しくない。まず第一に後宮に妃が一人しかいないということと、その妃が外戚を持たず横やりを入れてくる後見人がいないということがその理由である。
 「夕鈴、最愛の妃に会いに来たぞ、氾紅珠がいたそうだな」
 女官があたりにいるためか、珀黎翔は狼陛下のままだった。そのよく響く声を聞くだけで身が震える気がする。
 「ようこそお越しくださいました。紅珠さんが陛下にくれぐれもよろしくともうしておりましたわ」
 「氾紅珠はよくお前に仕えているようだ。……琴の練習をしていたのか?」
 珀黎翔はめざとく机の上に広げられた楽譜を見つけて尋ねた。
 「はい。氾紅珠さんは本当に上手でいらっしゃるのでとても勉強になりましたわ」
 「その琴は私に聞かせるために練習していてくれたのだろう?」
 「……っ!」
 かあっと顔が赤くなるのを夕鈴は感じた。確かに珀黎翔に聞かせるのが目的の一つではあったのだが、そう面と向かって言われると大変恥ずかしいものがある。
 「では練習の成果を聞かせてもらおうかな?。皆さがれ。妃が恥ずかしがるといけない。琴の音が聞こえないようにな」
 (ああ。さすが陛下だわ。うまい言い方)
 夕鈴は心の中でつぶやいた。珀黎翔にだけ琴を聞かせるという名目があれば女官たちに波風立てることもなく部屋から去らせることができる。しかもこれはあらかじめ予定してあったものではないから、宮中に隠密を忍ばせていた貴族がいたとしても、女官を退けたことを特に怪しく思うことはないだろう。
 うなずいて音もなく女官たちが退室していく。
 全員が部屋を出て、人の気配がなくなったのを確かめて夕鈴はほうっと息を吐いた。これで今日の臨時花嫁の仕事はひとまず終わりということになるのだろう。後は状況によっては夜になってから珀黎翔が後宮に戻ってきて、もう一幕臨時花嫁と狼陛下の熱愛演技が入るのだろうが、そちらは間違いなく今日の執務具合によるだろう。
 そして李順が来たということは仕事の打ち合わせのはずだった。
 「よろしいようです、陛下」
 入り口近くにひっそりと立ってあたりの様子を伺っていた李順がうなずいた。
 「そうか……浩大!」
 ふつうの声だったが、珀黎翔がそう呼ぶと同時に返事があった。
 「お側に」
 言葉とともにひらりと窓から小柄な姿が飛び込んできて思わず夕鈴は立ち上がる。
 「浩大!、どこにいたの!」
 「それはもちろん屋根の上だけれど?」
 ぬけぬけと答えて、しかし浩大は真面目な表情に戻って珀黎翔の前、床の上に片手を突いた。
 「何かご命令でも?」
 普段は珀黎翔を王とも思っていないようなそぶりさえ見えることがあるのに、こういう時は有能な隠密に徹してみせるのも浩大らしい。
 「しばらく夕鈴と話がある。あたりを見ていてほしいが、その前に今日何か動きはあったか?」
 身を起こし、浩大は苦笑した。
 「……いやあ平和なものでしたよ?。氾紅珠が来てお妃ちゃんと琴の演奏しているところも見てましたけれど、後宮周りは異変はありませんでした」
 「そうか。……ではしばらく外で見ていろ」
 「承知!」
 短く答えて、再び浩大はひらりと窓の外へと姿を消してしまった。
 「浩大は何をしていたのかしら」
 夕鈴は口の中でつぶやいた。
 実際にはこの有能な珀黎翔の隠密は、珀黎翔直々の命令を受けて、密かに夕鈴を護衛していたのだが、それは夕鈴には思いもよらないことだった。
 「浩大は次の仕事があるまでは王宮内にいるからね。後宮が居心地がいいんじゃないかな。張元老師もいることだし。ちょうど呼んだ時に後宮にいてくれて助かった」
 自分が浩大に夕鈴を守るようにと指示したことなどおくびにも出さず、珀黎翔はうなずいた。裏の事情を知っている李順は沈黙を守ったままだったので、夕鈴はわずかに首を傾げたものの、そういう偶然もあるのかしらと納得してしまった。
 「お話があるんですよね。どうぞ座ってください。今お茶を入れます。李順さんも」
 この場には気心が知れたメンバーしかいない。夕鈴は李順にも椅子をすすめ手際よくお茶を入れて珀黎翔と李順にそれぞれ差し出した。自分もお茶を入れた茶器を手に椅子に座る。いつもは夕鈴を自分の傍らに座らせようとする珀黎翔だったが、今回は夕鈴が真向かいに座るのを黙ってみていた。
 「……陛下、私の方から夕鈴殿に説明しましょうか」
 先に口火を切ったのは李順だった。
 「そうだな。その方がいいかもしれない」
 珀黎翔が幾分声を低くして言う。これはいよいよいつもとは様子が違う。夕鈴は珀黎翔と李順を等分に見た。
 「何かあったんですか?」
 「ありました」
 すっぱりと李順が答えた。
 「陛下の暗殺未遂が」
 「……えええ!」
 あまりにさりげなく李順が言ったために夕鈴は最初理解できず、理解した後は思わず声を上げてしまった。
 「それってどういうことですか!」
 暗殺未遂。
 それは久しぶりの出来事だった。内乱が一応の決着を見て、夕鈴が臨時花嫁として雇われた頃は、もう珀黎翔に対する直接的な攻撃はあまりされなくなっていた。
 繰り出される暗殺者が次々と珀黎翔の手にかかったということもある。珀黎翔本人を倒すのは難しいと白陽国内では広く周知され始めていた時期に夕鈴は臨時花嫁になったのだ。結果的に、どちらかと言えば狼陛下に攻撃を仕掛けるよりも、その妃に攻撃を仕掛け、後宮に己の息がかかった妃を送り込みたい。そう考えた貴族たちが事を実行するまでさして時間は必要なかった。
 だが、そちらに関しても夕鈴に対する度重なる攻撃は珀黎翔の手によって退けられた。となれば次は夕鈴に対する懐柔策になる。様々な贈り物が後宮に持ち込まれるようになり李順がほくほくとそれを回収していたことを夕鈴は知っている。
 「しばらく平和だったのに……」
 夕鈴のつぶやきに珀黎翔は穏やかにうなずいた。
 「そうだね。でも、最近どうも強硬に僕を倒したいと考えている者がいるようなんだよね……たぶんターゲットは僕だけだと思うんだけれど」
 「そんな!陛下をターゲットだなんて!」
 夕鈴は憤然として声を高めた。珀黎翔が重税を課し、圧制を敷く愚王ならば珀黎翔を退けようとする者の気持ちもわからぬではない。だが珀黎翔が国のため働いていることを夕鈴は身近に見て知っている。
 「……ちょっと待ってください」
 夕鈴はふと珀黎翔の言い回しに気づいた。
 「……最近?」
 「いや、別に他意はないんだけれど」
 さらりと珀黎翔が流そうとする。しかし夕鈴はだまされなかった。
 「私が知っているのって結構前の事件ですよね。少なくともここ数週間陛下を狙った話なんて聞いていませんけれど」
 「……」
 失敗したなといった表情で珀黎翔が視線をそらす。
「李順さん」
 夕鈴は李順の方を振り返った。
 「臨時花嫁の立場としたら、伺っておいた方がいいような気がするんですけれど。もしもの時に妃は知らなかったでは臨時花嫁がつとまりません」
 職分を超えた行動をとるなと常日頃は厳しい李順だったが、しばし考えた後李順はうなずいた。
 「そうですね。……陛下、今回ばかりは夕鈴殿に全部お伝えしておいた方がいいような気がします」
 李順の言葉に珀黎翔は小さくため息をついたが、それ以上は異議を唱えなかった。
 李順が振り返る。
 「今週に入って、なりふり構っていられないという勢いで陛下に対して様々な攻撃が仕組まれていまして、大変危惧している状況です」
 夕鈴は一瞬息を詰めた。
 「攻撃って……暗殺ですか?」
 「李順、夕鈴が怖がるだろう」
 李順が答える前に珀黎翔がたしなめるように言う。
 「事実です。……いや、夕鈴殿、暗殺なのかどうか、定かではないものも多いのですが」
 そう前置きして李順は珀黎翔へと視線をおくった。
 「今朝方のものはさすがに陛下もやり過ごせなかったのですが……」
 「もしかして、今朝の執務室に来なくていいとご連絡をいただいたのって」
 夕鈴はわずかに息を飲んだ。





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