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「一度きりの恋」再録集58に再録2014,1,26発行
珀黎翔×汀夕鈴
目の前で夕鈴をかばって賊を切った珀黎翔
そして夕鈴は…
一度きりの恋
    ******

「人…殺し……」
かすれた響きが耳を貫く。
「…っ…」
夕鈴は喉を震わせた。
視線を逸らしたい。だが、目を閉じることさえできなかった。どさりと人の体が物と化し、回廊の床の上に滑り落ちて音を立てる。
鼻をつく血の匂い。
だが、先ほどの叫びが最後の足掻きだったのだろう。床の上に黒々と横たわる影はもうびくりとも動かない。
「狼陛下…冷酷非情…な…お前の治世は…すぐにも終わる…」
うめく声はかすれる。
夕鈴の前に立ちふさがり背を向けて男と対峙しているのは珀黎翔だった。その顔は見えない。のろいの言葉を受けているその表情は見えない。片手に剣を抜き放ち、まっすぐに襲いかかってきた男を見つめている。
『…人…殺し……』
断末魔の叫びが蘇り、夕鈴は一歩後ずさった。
「お前も…お前の愛する妃も同じだ…!」
男は身を起こし、夕鈴をにらみすえようとした。
「人殺し…」
その言葉は夕鈴に向かって放たれていた。
珀黎翔が再び夕鈴をかばうように場所を移し夕鈴の前に立ちふさがって男の視線を遮った。
「我が妃を…そしるは許さぬ」
低く珀黎翔が言う。
何もかもが現実味を失っていた。
長く連なる王宮の回廊の柱にはもう灯りの火が入れられていた。その光に照らし出された光景は、美しくも凄惨な殺人現場だった。あたりに黒々と飛び散るのは血飛沫の跡だ。
夕鈴を好きだと言い、愛していると繰り返しささやいてくれた人が、目の前の惨状を引き起こした。剣をふるい襲いかかってきた相手を珀黎翔はためらうことなく斬り伏せた。何人もの男たちは夕鈴の目の前にもの言わぬ亡骸となって横たわる。
(死んで…いる……、…殺した…の……陛下……)
夕鈴はよろりとまた後ずさった。
これは夢。
ふと夕鈴はそう思った。痺れるように手足が重い。この恐怖感に押し潰されそう。 
(夢…夢だわ…きっと……)
もうそれは夕鈴にも分かっている。
この惨状は今現実に起こっていることではなく、すでに通り過ぎた過去の映像だ。襲われたのは夕鈴だった。珀黎翔がかばってくれなければその血の海の中に横たわり倒れていたのは夕鈴だ。珀黎翔が助けてくれたことはわかっている。だが、目の前の凄絶な光景に夕鈴の体中がわなわなと震え出す。
目の前で大好きな人が剣をふるい、何人もの命が失われた衝撃。あの時の恐怖の記憶が蘇る。
「お前も同罪だ…王の妃よ…!」
夕鈴へ向けられる憎悪の叫び。
珀黎翔に剣をふるわせてしまったのは夕鈴。
苦しくて辛くてもう気が狂いそうだ。
(あ……あ……!)
叫び出したいのに喉がこわばり痛みさえ感じて叫び声すらも出ない。
夕鈴を抱き締めて、愛していると囁いてくれる人。優しい心を持っている。その愛する相手に呪詛の言葉がささやかれる。
『……あのような妃を後宮に…」
「あの妃は王陛下に不幸を呼び込むだろう……!』
そうさげずむように言われる言葉を聞いたのは何時の時だったのか。
夕鈴は震える手で喉をつかんだ。痛むほど握り締める。
「や…あ……あ……!」
血の匂いが強くなる。これはやはり現実なのか。繰り返し夕鈴は己の罪の記憶を再生しなければならないのか。
そうこれは罪。珀黎翔に剣を振るわせ目の前で人を殺させてしまった。
「やめ…て……もう……いや…」
夕鈴はうめいた。
もうこれ以上は見たくない。夕鈴はただ珀黎翔を好きになっただけなのに。この想いが人が死ぬきっかけになってしまうとは。
夕鈴はひんやりと冷たくなり震える手を握り締める。
好きと言ってくれた人、自分を愛してくれた人が呪詛されるぐらいなら夕鈴こそそののろいを受け死んでしまいたい。
もうそれぐらい珀黎翔が好き。目の前で人を切り捨てて揺るがぬほどの思いを注がれているともわかっている。
『愛している…君を…君だけを……愛して……夕鈴』
ふいに耳元で甘くささやく声がして、夕鈴ははっと我に返る。
縋るように夕鈴はその声の主を呼んだ。
「陛下…陛下……!」
 
    *******

ここは白陽国である。前王からの代替わりの争乱を乗り切った若き王珀黎翔が治める国だ。代替わりの内乱の折り国の覇権を握ろうと国内は乱れ争いが勃発したが自ら軍をひきいて瞬く間にその内乱を平定した珀黎翔は、汚職官僚を追放し、徹底した実力主義を引いて国内の権勢を己の手中に治めた。その手腕に近隣諸国は珀黎翔が覇王の道を歩むのではないかと恐れたが、国内を平定した珀黎翔は他国には内政不干渉を貫き国力安定に力を注いだ。
国内が安定してくると王の意を伺う貴族が増えてくる。意のままにはならぬ王を操るには後宮に己の血族の姫を送り込み、閨閥によって権勢を振るおうと考えたのだ。
だが次々と持ち込まれる縁談を退けてきた珀黎翔はある時後宮に一人の妃を迎え、その妃だけを寵愛するようになった。
妃の名は夕鈴。
愛らしい容姿と貴族の姫には珍しい生き生きとしたまなざし。その素性は伏せられている。異国の姫だとも市井の娘を見初めたのだとも。
だが珀黎翔が夕鈴をただ一人の妃として寵愛していることに偽りはなく、己の信任厚い側近李順を後見につけ滞りなく宮中で過ごせるように最大限の計らいをしていた。
本来ご正妃につけるはずの女官長を夕鈴につけ、後宮にほかに妃をいれない珀黎翔はゆくゆくは夕鈴を正妃にするつもりではないかと目されている。
だが実はそこには裏の事情がある。珀黎翔のたった一人の寵姫は実は臨時花嫁。外戚によって己の統治に貴族が関わってくることを望まぬ珀黎翔の縁談除けとして雇われたプロ妃だったのだ。短期のバイトと想われたこの臨時花嫁の仕事は最初に考えていたよりも長く続いていた。
だがこれにはさらに裏の事情が存在する。夕鈴と近しく接しその優しさ強さ、裏表のない率直さに心を奪われた珀黎翔は夕鈴を本物のお妃へと望み、また珀黎翔に仕える側近である李順も、その信頼される隠密の浩大もまた夕鈴こそ本物の妃として遇するようになっていた。しかし夕鈴本人はそれを知らぬ。
ようやく珀黎翔が思いを告げ、夕鈴をその手に抱けるようになったのはつい最近のことである。
珀黎翔の執務は夜遅くまで続く。
自ら親政する王である珀黎翔は執務官たちが下がった後も王宮の居間で様々な決済を行っているのが通常だ。
今も珀黎翔は王宮の居間で一人筆を手にしていた。先程まで付き添っていた李順は侍官に呼び出されて席を外している。
「…どうした?」
珀黎翔は筆を手にふと顔を上げた。部屋の中には珀黎翔しかいない。だが珀黎翔はまるで誰かほかに人がいるかのようにささやいた。
「珍しいな。この時間にお前が現れるとは」
「夜は隠密の時間だからね」
そう答える声がして、ふっと部屋の中にもう一人、目立たない色の服を着た小柄な姿が現れた。一見するとまるで子供のような容姿。だがその登場の仕方から考えても子供であるはずはない。
男は浩大と言った。珀黎翔が即位する前からつきしたがっている隠密である。そのひょうひょうとした振る舞いと笑顔から浩大を隠密として見る者は少ないが、実は白陽国でも一二を争うほどの腕前だった。大国白陽国の裏の社会でも一流の男として名を知られている浩大である。
浩大は床に一度手をついて王に対する拝礼を行うとすっと身を起こした。
「どうした浩大」
いぶかしげな表情を隠さぬまま珀黎翔は筆を置いた。この隠密が現れるとなると何らかの情報をもってやってきたということになるだろう。
「うーん…陛下、最近お妃ちゃんのところにいっっていないでしょう」
「ああ」
そっち関係の話かとうなずいて珀黎翔は両手を組んだ。夕鈴のことを考えるだけで珀黎翔の顔には優しげな笑みが浮かぶ。
「この前夕鈴には怖い思いをさせてしまったからな」
「あれは…どうしようもなかったと想うけれど」
浩大はわずかに眉をひそめる。
それは最近宮中に激震を走らせた事件だった。
夕鈴を退けようとした貴族が、夕鈴と過ごそうと後宮に向かっていた珀黎翔に直訴しようとしたのがその発端である。折悪しく夕鈴もまた後宮を出て回廊を通りちょうどその場面に出くわした。
夕鈴も珀黎翔も王宮内でも侍官や女官、護衛兵に囲まれての移動が常である。だがあいにく夕鈴は慣れた道ということもあり一人で王宮の王の執務室へと向かっていた。
その貴族の直訴だけであれば問題はなかっただろう。実際李順が珀黎翔と貴族の間に割り込み、その貴族を退けようとしていた。そこに珀黎翔に恨みを抱いた貴族が数名の男たちとともに襲いかかったのだ。
もちろん大事にはならなかった。珀黎翔も夕鈴も無事だった。だがとっさのことでもあり、あたりを侍官や執務官たち文官に囲まれていたということもあって珀黎翔は手加減する余裕がなかった。この場面で武人であり、賊を退けられる力を持つ者が珀黎翔一人しかいなかった。襲いかかった男たちをことごとく斬り伏せて事態は決着をみた。
「こうなってみると日中も俺がお妃ちゃんについていた方がいいなと思うけれどね」
「それは…その通りかもしれん。検討しておく」
珀黎翔はうなずいた。諸外国の情報収集のため他国へ放っていた隠密の浩大を呼び戻したのは、密かに夕鈴の護衛につけるためだった。
浩大ならその人柄もあり夕鈴の負担にならずに護衛をつとめられるだろう。だが、浩大も日中の護衛は夕鈴からはずれる。昼間の夕鈴は表向きの警護がついており浩大が張り付きになるのは夜が多い。また宮中で何らかの動きがあると珀黎翔が判断した時だった。
「いや。あの時は失敗した」
珀黎翔は口元に冷ややかな笑みを浮かべたがそれは浩大をもってしてもわずかに身震いするほどの冷たさを帯びていた。
「夕鈴を排斥しようとする貴族が直訴する情報は掴んでいなかったからな」
二つの事件が重ならなければこんな大事にはならなかっただろう。





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