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「光降る庭」初期再録集4に再録(2013,12,29発行)
珀黎翔×汀夕鈴
白陽国には珍しい虹が空にかかる
それは瑞祥だったが夕鈴の懐妊を
天が知らせたのだという噂が流れ・・・


  *****

「瑞祥にございます」
声を上げて駆け込んできた女官は執務室の入り口で膝をつき、王の前で深く頭を下げた。
「陛下の御前である。何事か」
そう言ったのは王の第一の側近である。
「瑞祥が現れました。天空に虹が。この時期に空に架かる虹は瑞祥の証。これは陛下の御代をたたえるものとみな騒いでおります」
女官は顔をわずかに赤くしてそうを訴えた。
ここは白陽国、若き王珀黎翔が治める国である。代替わりの騒乱を乗り越え、国内を徹底した粛正により掌握し様々な施策を打ち出して国内に平和を導いた強い統率力を持つ王として諸外国に名を知られるようになった。戦場の鬼神、冷酷非情とうたわれる珀黎翔は狼陛下の二つ名をもつようになった。
実は珀黎翔には秘密がある。表向き狼陛下として振る舞っているがその本心はただ冷酷非情なだけではない。その心には小犬のように優しい本性を隠していることを臨時花嫁として雇われた夕鈴は知っている。
夕鈴は珀黎翔のたった一人の妃として寵愛を一身に受ける身である。だが本物の妃ではない。珀黎翔の第一の側近である李順に雇われた臨時花嫁である。だが珀黎翔をいつの間にか好きになっていたことは夕鈴の誰にも言うことのできない秘密だった。
「ちょうど仕事も一段落つく所だな。いだろう。ここで午前の仕事は終わるとしよう。各々決裁の済んだ案件はすすめておくように」
珀黎翔の言葉で執務室の緊張感がゆっくりとほどけた。
書簡をまとめ官僚たちがぞろぞろと執務室を出て行く。
虹の出現を知らせた女官も珀黎翔のうなずきにこちらはいささか冷静さを取り戻した様子で同じく部屋を出ていった。それを見送って珀黎翔は傍らに控える最愛の妃であるところの夕鈴を振り返った。
「瑞祥だって。ここのところ天候が不順だったから民には良いニュースだな」
そう言いながら珀黎翔は立ち上がり執務室の窓際に近寄った。
「夕鈴見に来てご覧よ。確かに見事な虹だよ」
部屋の中には夕鈴と李順しかいない。珀黎翔のあの触れなば切れんと言わんばかりの凍り付くような冷たさは影を潜めいつの間にかあの優しい温かな気配を身にまとっていた。
「まあ、確かに見事ですね」
珀黎翔に招かれるまま窓際に近寄っだ夕鈴は思わず声を上げた。この国では虹はめったに見ることがない。天空に大きくかかる美しい七色の光の橋は確かに瑞祥といわれるに相応しいものだった。
「ああこれは確かに見事なものですね。確か天空に虹がかかるのはこの国の分剣では…」
そう言ったのは李順である。珀黎翔の腹心であり様々な国政をともに担う李順は夕鈴の鬼の上司でもあった。
「何してもめでたいようだ。夕鈴、今日は夜になったら後宮に行くので」
「あ、お待ちしてます」
珀黎翔の言葉に夕鈴はうなずいた。こういう時は午後の執務は夕鈴はお休みということを意味している。夕鈴にもお妃教育の時間が必要だったり氾紅珠など貴族の姫と過ごす時間が必要だったりするので珀黎翔は執務のほとんどを夕鈴とともに過ごしたがったがそうもいかなかった。
珀黎翔は多忙である。狼陛下の二つ名を持ってはいるもののそのイメージと違い非常によく真面目に働いている。時としてそれは珀黎翔の様々な指示を受ける官僚たちにとっては過酷なスケジュールになることもあった。
このとき夕鈴は李順がいいかけたこの国における瑞祥のあらわれた意味を李順が言う前に珀黎翔が遮ったことに気がつかなかった。

   ******

後宮に戻った夕鈴を女官たちは笑顔で出迎える。夕鈴はこの国の最高権力者珀黎翔のたった一人の妃でありその寵愛の甚だしいことは宮中に知れわたっている女性である。何回か夕鈴に対し直接暗殺などが企てられたこともあり、現在後宮の夕鈴付きの女官たちはみな心ばえのよい者たちばかりだった。
「夕鈴様、お帰りなさいませ」
「ありがとう」
夕鈴は笑顔で答える。
「夕鈴様は瑞祥をご覧になりましたか」
女官の言葉に夕鈴はうなずいた。
「陛下と一緒に見ました。あのような見事な虹は初めてみました」
「これも陛下が白陽国を治めてくださっているおかげでございます」
女官がうれしそうにいう。
「国が乱れるときは暗雲が立ち込め何度も月が隠れると申します。あまり大きな声では言えませんけれども前王様の時代には何度も月が見えなくなり台風が襲い来たとか」
「そうなの」
夕鈴はわずかに首をかしげた。そう言われてみれば確かに月食が何回かあったかもしれない。しかしその頃は夕鈴は下町の娘だった。瑞祥とか不吉の予兆とか全くその当時は考えなかった。
「まずはお疲れを癒してくださいませ」
夕鈴の世話をするのが女官たちの仕事の一つである。そして多忙な王が後宮に現れるとき妃である夕鈴を飾り立てて王の目を楽しませるのも仕事の一つだった。

   *****

夜になって珀黎翔は李順とともに後宮にやってきた。
「我が最愛の妃よ。瑞祥の起こった日にそなたとともにあの虹を見られたのは誠に運命と言うものだな」
そう言いながら珀黎翔が夕鈴を抱き寄せる。声もなく壁際に控えていた女官たちがどよめいたのがわかって夕鈴は顔を赤くした。しかしこれも仕事である。珀黎翔の最愛の妃であると振る舞うことで珀黎翔に縁談が持ち込まれることを避け正妃問題を先送りするのが仕事だった。顔はきっと赤くなっているだろう。珀黎翔はさらりと女たらしなセリフを口にするが夕鈴は珀黎翔の小犬のような姿を知っいてさえこの水際だった男ぶりには顔を赤らめずにはいられなかった。
「…陛下もよろしいようですよ」
いつものあの冷静な李順の声が聞こえてきて夕鈴は珀黎翔の胸元にうつむいていた顔をあげた。
いつの間にか女官たちの姿は見えなくなっていた。部屋の中にいるのは珀黎翔と李順、そして夕鈴の三人だけだった。
「李順、少しは気を利かせろ」
珀黎翔がわずかに狼陛下の口調で言う。
「陛下、李順さんの言う通りですから」
慌てて夕鈴は珀黎翔を押し戻しながらそう言った。
「陛下お疲れでしょう、いいお茶を用意しておきました。座ってください、李順さんも」
夕鈴に進められるがまま珀黎翔と李順がそれぞれ定位置に腰を下ろす。夕鈴は慣れた手つきでお茶を入れ始めた。
「それにしても綺麗な虹でしたね」
「そうだね」
答えながら珀黎翔がにこにこと夕鈴のお茶を入れる姿を見ている。最初の頃は恥ずかしかったが今はもうすっかり慣れた。後宮でくつろいでいるのが狼陛下のふりをしている珀黎翔の唯一ののんびりできる時間なのだ。少しぐらい恥ずかしくても珀黎翔がそれで笑顔でいられるのなら幾ら見られていてもいいと夕鈴は思っていた。
「はい、どうぞ」
夕鈴はお茶を差し出し自分でもお茶を飲みながら昼間の女官達の話を口にした。
「陛下の治世が安定しているので、天がそれを示すために瑞祥をあらわすとか。そういうのって下町では全然知りませんでした。前の王様の時確かに台風も来たけれどそれが前の王様の治世の乱れを天が怒ったと聞きました。宮中は相変わらず私の知らないことが多いです」
「そうだね。宮中には確かにいろいろ言い伝えが残っているよ。宮中の池に白鷺が舞い降りたら瑞祥なんだよ」
「そうなんですか」
「まあ何してもこの手の出来事は理由が後付けになることが多いからね。それに僕はあんまりこの手のことを信じていないんだな」
「実は私もです」
李順がそう口を挟む。
「陛下は確かにこういう予兆とか信じそうもありませんが、李順さんも全然信じないんですか」
「もちろん信じていませんよ」
李順は肩をすくめる。
「私がこの手のことを信じそうに見えますか」
「全く見えませんけれど」
夕鈴はつい本音を口にしてしまった。
「そこまで断言されるとは思いませんでしたよ。しかし」
李順はわずかに首をかしげた。
「全く見えなかった割に私がそういうのを信じると思ったんですか?」
「えーと、李順さんがこの手の事に詳しそうだったので」
「これぐらい常識ですよ。きっと氾紅珠姫もご存知でしょう。もちろん陛下は教養としてご存知でいらっしゃるはずです」
「これって共用なんですか」
夕鈴の問いに李順はうなずいた。
「施政者として知っているべきことですよ。この手の瑞祥を使って仕掛けてくることもありますからね」
「仕掛けてくる?」
夕鈴は意味がわからず口ごもった。
「例えば前王の時台風が何度も来ましたよね。それが全王の治世を天が認めず怒りをあらわしたのだと民を煽れば国を転覆させることもできるんですよ」
「…それは怖いです」
夕鈴はわずかに身を震わせた。
「怖がることはないよ。李順も考えすぎだ。何したって瑞祥だからね。安心して」
珀黎翔が夕鈴を安心させるように微笑んだ。
「はい」
夕鈴はうなずいた。
「それじゃ、今日このままのんびりしたかったんだけれどこの瑞祥のおかげで余計な仕事が増えそうだよ。一度王宮に戻ることになっているんだ。それじゃ行こうか、李順。さっさと片付けてのんびり休みたいものだ」
「全くもっておっしゃる通りです」
うなずいて李順も立ち上がった。
珀黎翔と李順が出て行くのを夕鈴は見送ったのだった。

  ****

すでにあたりは夜である。王宮内では夜になっても警備の兵が巡回している。回廊も要所要所に明かりがあり完全に暗くなることはない。最も月の光が差しつけてくる庭先はその情緒を愛でてわざと灯を落としている場所もある。
回廊を李順とともに進んでいた珀黎翔は何気ない素振りで回廊の階に進み出て庭先から空を見上げた。暗い澄み渡った秋の夜空である。月が中空に細くかかり、庭先を銀色の光で照らし出している。
「どう思う?」
声を落とし口をほとんど動かさぬまま珀黎翔がささやいた。
「やはり動きがあるのではと」
李順もまた珀黎翔の背後に立って月を見上げる素振りで答えた。辺りに人の気配はなく二人の会話を聞く者はいなかった。
「あの瑞祥を盾に陛下への要求をちらつかせてくるものが出るのは間違いないでしょう。それが新しく領土を広げるべきだという方向に流れる可能性は否定できません」
「それは認めぬ」
珀黎翔は冷ややかなそして人々が恐れる狼陛下の口調でつぶやいた。
「ようやく疲弊した国が安定してきたのだ。今ここで内政に力を注がねばあの代替わりの内乱を勝ち抜いた意味がない」
珀黎翔と李順の危惧していたのは、この瑞祥を理由として国土拡大をうたう声が上がることだった。戦争を多くの民は望まない。しかし戦争は景気が大きく動くきっかけになることを珀黎翔はわかっていた。
「実は我が国においては虹は国土興隆の証と言われております。ですので動きがあるのではないかと」
「………」
珀黎翔はうなずいた。
「余計な噂が流れて夕鈴が心配しているのではないかと様子を見てみたがさすがに後宮の女官で余計な話を夕鈴の耳に入れる者はいなかったようだ」
「動きがあるとすれば軍部を統括する柳大臣の一派でしょうか」
珀黎翔は李順の言葉に考え込んだ。
「いや場合によっては柳家と氾家と敵対する別の一派が出てくる可能性もある」
「全くもって瑞祥などと余計な気象現象が起こったものです」
李順は大きくため息をついた。
「まあそう腐るな。前王の時のように台風が来たり月食が起こったりするよりはよほどましだろう」
珀黎翔は苦笑する。王の側近として宮中で動かざるをえない李順がこの後苦労するのは目に見えているのでさすがに慰める気になったようだった。
「何か動きがあったら逐次知らせるように」
珀黎翔がわずかに表情を改める。
「せっかく平和な日々を勝ち取ったのだ。気象現象ごときにこの平和な国を乱れさせはしない」
「かしこまりました」
二人の会話は誰一人聞く者はいないまま終わり、珀黎翔と李順は再び回廊を歩き出した。





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