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「花と共に空を舞う」2013,10,27東京コミックシティ発行
珀黎翔×汀夕鈴
新年の儀式のため弓の鍛錬を積む珀黎翔
いよいよさまざまな思惑の絡む中
ついに祭殿前の場面で
夕鈴がとった行動は…
花とともに空を舞う
    ******

最後のポーズを決めて、夕鈴は動かぬまま笑みを浮かべて見せた。艶やかな黒髪がわずかに揺れる。幾重にも布が重ねられた後宮服は夕鈴によく似合っていた。首からかけられている首飾りが触れ合ってかすかな音を立てた。
ややあって声がかかる。
「はい、結構です」
緊張から解き放たれて夕鈴は息を吐いた。
「…どうでしょうか、李順さん」
顔を上げて夕鈴は厳しい己の上司を見る。白陽国では知らぬものはいない王の側近、切れ者李順と呼ばれる青年は夕鈴から少し離れた場所で夕鈴の踊りに厳しい視線を注いでいたのだ。
眼鏡を押し上げつつ李順は口元にふと笑みを浮かべた。
「よろしいでしょう。大変上達されたと思います」
「よかったぁ」
ほっとして夕鈴は今度は意図的につくった笑みではなく本物の笑顔を浮かべた。
「いや、上手だったぜ?」
窓際から声がかかり、夕鈴は視線を高い場所にある窓の方を見上げた。そちらには予想通り隠密の浩大の姿が見えた。
日中でも女官たちがいなければ後宮に現れるこの神出鬼没の隠密はにこにこと夕鈴を見下ろしていた。
「見てたの?、浩大」
「うん」
ひらりと音もなく飛び降りると浩大はその窓の下の床の上に座り込む。
「女官を退けて何をやっているのかなって見に来たんだよ。それって新年の儀式用の舞だよな?お妃ちゃんが舞うことになったんだ?」
浩大の言葉に答えたのは李順だった。
「ええ、今朝決まりました。やっぱり夕鈴殿が舞うのが一番当たり障りないのではという判断ですよ」
「そりゃそうだよなあ」
浩大はうなずいた。
「陛下の寵愛を一身に受けるお妃ちゃんを差し置いて、貴族の姫が舞った日にはしゃれにならないでしょ」
「そういうものなの?」
夕鈴は手にしていた扇子をしまうといつも夕鈴の居間に用意してある茶卓の方へと歩いていった。李順のお妃教育がおわった後でもあるし、お茶をみんなに振舞おうと思ったのだ。
「李順さんに見ていただいてよかったです。前に教わったとおりにできているのか不安でしたし。お茶を入れますからどうぞ座ってください、李順さん。あの、お時間大丈夫ですよね。よかったら浩大も飲んでいって」
「そうですね。いただきます」
こちらも笑顔で李順はうなずいた。珀黎翔の定位置の長椅子を避けて別の一人掛け用の椅子に李順は腰を下ろす。
「ちょっとぐらい休憩しても罰はあたらないでしょう。もう今週は働きづめですし。まあ後で陛下に恨まれそうですが」
「陛下に恨まれる…?」
李順に教わったとおりの宮中の作法にのっとって夕鈴はお茶を入れ始めた。
「そりゃあね。自分は仕事三昧なのに李順がお妃ちゃんと舞の稽古をしているなんて知ったら陛下が黒々と怒りそうだよなあ」
浩大が口の中でつぶやいた。
「俺までとばっちり食いそうだし。あの人、怒ると手加減なくなるからな。こっちは仕事なんだけれどさ」
「仕事…?」
浩大の言葉に夕鈴は首をかしげる。いい香りが立ち込め始めて浩大は目を細くした。
「いや、何それはこっちのこと。お妃ちゃんは気にしなくていいよ。李順のとばっちりを食うだろうなってところは俺はもうあきらめてるからね」
夕鈴にはよくわからないその話はあまり踏み込んでも浩大が困りそうだと悟って夕鈴は深入りしなかった。
李順と浩大に茶器を差し出し、自分もお茶を取って夕鈴は椅子に座った。
「それにしても本当に最近忙しそうですね、陛下も李順さんも」
「そうですね」
李順はうなずいた。
「年末になってきましたから、国内の大きな工事も終わらせなければなりませんし、まるでこちらの許容量を測るかのように行事が立て込んできましたからね」
李順は小さくため息をついた。
「陛下も私も現実主義ですから神に祈るというような行事にはさして重きを抱いていないんですが、国内統治の上ではこの手の儀式を軽んじるわけにはいかないんですよ」
「そうなんですか…」
夕鈴の言葉に李順はうなずいた。もう少し説明する気担った様子で言葉を続ける。
「この国は陛下あっての国ですが、群雄割拠して国が乱れてるような事態にならずにすんでいるのは陛下が間違いなく白陽国王家の直系の血を引く王族であるためですから。王家の威信を保つ儀式はちゃんと執り行っておくことは余計な苦労をせずに統治を継続する源となります」
「そういうところ、李順も陛下も割り切っているよな」
浩大が口を挟んだ。
「まあそうですね。…それで夕鈴殿に今回儀式で舞っていただくのは新年の行事のひとつ、祭殿でのものですよ」
詳しい儀式の背景については後ほど書類でお渡ししておきますから読んでおいてくださいと李順は続けた。
「わかりました」
夕鈴はうなずいた。
「でも、それって本当はご正妃様がするはずの儀式なんですよね。それを私がやってしまっtいいんですか?」
「まあ下級妃がやるような儀式ではないんですが、そうかといって妃がいるのにほかの貴族の姫に舞わせた日には宮中に激震が走りますよ。すわ、陛下がいよいよご正妃をってね」
そういうことかと夕鈴は納得する。
「それなら臨時花嫁の仕事ですよね。陛下のご正妃除けというか縁談除けが目的ですし」
「そうなると今現在お妃ちゃんの後見を陛下から任せられている李順の失脚かってことにつながって別の意味でも宮中が激動しそうだよな」
浩大の言葉に李順はため息をついた。幾分恨みがましくつぶやく。
「せっかく私が考えずにいたものを…」
「私が舞わないだけで李順さんの失脚まで話がいっちゃうんですか」
夕鈴の問いに李順は片手でこめかみをもみつつうなずいた。
「その通りなんですよ。何しろ夕鈴殿の後見という立場は夕鈴殿が失脚すれば私も失脚するというものなんです」
「本当はお妃ちゃんに舞わせるのも問題なんだけれどさ。何しろお妃ちゃんの寵愛の深さを貴族たちに見せつけることになるからね。李順としちゃまた貴族たちが牽制かけてくるところだろ。でも…どちらがいいかという点で李順はお妃ちゃんの舞に賛成したんだろ。もっとも陛下はお妃ちゃんに舞わせたかったみたいだけれどさ」
「…お疲れ様です」
夕鈴が舞った方がいろいろ問題がないことはわかるが、李順としては苦渋の選択だったに違いない。それでなくても珀黎翔の信任厚く、さらに寵妃の後見を任せられているということで風当たりが強いのだ。
「大丈夫ですよ。夕鈴殿。もとからこれは覚悟の上でしたからね」
李順はさらりと答えて視線を浩大へと向けた。
「…あちらの方の仕上がりはどうですか?」
「うーん」
浩大は首をかしげる。ちらりと夕鈴を見た。
「お妃ちゃんは順調だけれど…陛下はもともとが剣の人だからなあ」
「あちら…?陛下のこと…?陛下も何かされるんですか?」
「うん」
浩大がうなずいた。こういうときは浩大が説明に回る。
「今回の儀式では陛下にも仕事があってさ。それが弓で的を射抜くってやつなんだよね〜」
この的がなかなか難問でねと浩大は軽く付け加えた。
「弓…?」
夕鈴はつぶやいた。
「弓の音は魔を払うっていう言い伝えを聞いたことはありませんか?」
李順が言葉を添えた。
「それは聞いたような…気がします」
「宮中の儀式として、夕鈴殿が祭殿で神に奉納舞を行い、陛下が祭殿の前の庭で的を射るというものがあるんですよ」
「だから弓…ですか」
「ここのところ、陛下がぜんぜん後宮に来ていないだろ」
浩大の言葉に夕鈴はうなずいた。
「ええ…そうだわ」
もとから珀黎翔が多忙であることはよくわかっている。何より夕鈴は縁談よけで雇われた臨時花嫁。だから珀黎翔が後宮に来なくても何を言う権利もない。夕鈴が妃として珀黎翔の寵愛を受けているのは仕事なのだ。
だが、それでも珀黎翔は後宮にこられないときは夕鈴に必ず侍官を通して仕事が多忙の旨を連絡をしてくれていた。
「今儀式やら工事の手順のみなおしやらで陛下もとっても忙しそうなんだけれどさ。その合間を縫って弓の鍛錬もしているんだよ」
「弓…」
夕鈴は口の中でつぶやいた。
「陛下は本当に優れた武人でいらっしゃいますが剣の人ですからね。棒術もきわめて優れている方でいらっしゃいますが、弓については…まあ残念ながらトップレベルというわけにはいきません」
「あ、陛下の名誉のために言っておくと、弓だってすごいからね。あの人は」
浩大は黒く大きな瞳を輝かせながら言った。
「まあ10回射て、あの距離で8,9回は的中するね。これはかなりの腕前なんだぜ?」
剣の腕がすごすぎるからねと浩大は言葉を続けた。
「陛下は飛来する矢を切って落とす剣の達人だってお妃ちゃんも知っているだろ」
「ええ」
夕鈴はうなずいた。珀黎翔が襲ってきた賊を切り捨てた場面を見たこともある。射掛けられる矢をことごとく切って落としたその腕の程を目の当たりにした夕鈴は珀黎翔が剣の達人というその言葉は容易にうなずけるものだった。
今回の儀式では50メートル先の扇子を射抜くというものだと浩大は説明した。
「50メートル先ですか」
「弓が専門の軍人でもなかなか荷が重いよな。まして的が扇の根本だからね」
そういいながら浩大は李順に視線を向けた。李順はうなずいた。
「誰にでも得意分野はありますからね。…ちなみに浩大は鞭と小刀の扱いだったら陛下をしのぐまさにこの国一番の腕と言ってもいいでしょうが」
李順はため息をついた。
「正直弓の腕ももしかすると陛下より上…その浩大から見て陛下はまだまだ…ということでしょうね」
「ま、そういうこと。まあ俺にとっては飛道具系の武器は得意分野だからね」
浩大はにやりと笑って見せた。
「で、時々陛下の鍛錬にも付き合っているんだけれどさ。…まあ、本当にまずいってなったら陛下に化けて俺が矢を射てもいいんだけれどさ。入れ替わったときに俺だって見抜けるような目利きがそうそういるとも思えないし」
どうよといった表情で浩大は視線を李順へと向けた。
「氾家の当主はあなたが化けて弓を射た場合、陛下の偽者と見抜く可能性がありますよ」
李順はため息をついた。
「実は最初の時点ではそれも考慮していました。万一のときにはあなたにお願いしようと思っていましたが、貴族たちが出席する以上どうしようもありません」
「そんな儀式が陛下にあるなんて知りませんでした」
「うん」
浩大はうなずいた。
「ま。そういうことだからさ。陛下がなかなか後宮に来られなくても仕方がないんだよ。激務の合間を縫って鍛錬しているからさ。もしも陛下が後宮にやってきたら労ってやってよ」
それを浩大は夕鈴に言うつもりだったのだ。そう夕鈴が気がついた時には浩大はもうさっと立ち上がっていた。
「ありがと、お妃ちゃん。お茶おいしかった。それじゃな、李順」
そうとだけ告げて次の瞬間、浩大はさっと姿を消していた。
「なかなか…浩大も気がきく」
李順がつぶやく。そして視線を夕鈴へと戻した。
「そういうことです、夕鈴殿。しかし、浩大が来たということは陛下の鍛錬もどうやら山場を越えたようですし、今日あたりは後宮にお渡りもあるでしょう。そのときは仕事ですし!、熱愛夫婦でお願いしますよ!」
「はい!。お任せください!」
夕鈴はきっぱりとうなずいた。
それでなくても珀黎翔が多忙であることを知っている。その多忙の合間に儀式のために鍛錬をしていると聞いては少しでも珀黎翔をくつろがせ、休ませてあげたいと思う。それにもう少し夕鈴自身も儀式の舞について練習しよう。少なくともあれが狼陛下の妃とそしられるようなことにはするまい。李順はあれで仕事には厳しい。その李順が一応合格点をくれたということは夕鈴の舞の振り付けには間違いがないということだ。このまま舞いの精度を上げて情感をこめて舞えるように練習すればいいのだ。
夕鈴はひそかに手を握り、より一掃練習に励むことを心に決めたのだった。

    ******

弓を下ろし、珀黎翔はゆっくりと息を吐いた。広い庭には珀黎翔の他に人はいない。遠くの的には何本もの矢が突き刺さっている。すでに日は落ちている。回廊に掲げられた明かりが広い庭を赤々と照らし出してはいるものの、遠くの的は夜の闇にまぎれて正確に視認するのは難しい。だが珀黎翔はその的を見て小さく息を吐いた。外は寒い。吐く息が白く見えた。
「なかなか…思うようにいかんな」
珀黎翔は口の中でつぶやいた。
「そうかな」
他に人のいない場所で聞こえてきた声にしかし珀黎翔は驚きを見せなかった。相手の接近はもうわかっていた。この王宮の奥深くに入ってこられる者はそうはいない。
「どうした…?」
何かあったのだろうかというその問いに答える声はもう少し近くで聞こえた。気配を殺して近づくなといった珀黎翔の命令を一応は守る気があることを見せているのだろう。
「別に何がってわけじゃないけれどね。…お妃ちゃんのところ、あんまり行ってないでしょ、陛下」
少し痛いところを突かれた気がして珀黎翔は口元を引き結んだ。
「…行く暇がなかった」
「まあ実は俺もだよ。陛下の練習につきあっていたからね。さすがに夜は俺が護衛を担当していたけれどその時間帯だとお妃ちゃんは眠っちゃっているからね。だから、ちょっとお妃ちゃんの様子伺い。この後また護衛を他のやつからいつもの通りに引き継ぐからね」
振り返った珀黎翔の視線の先には予想通りあの明るい飄々とした笑顔の隠密の姿があった。
「ついでに陛下にはお妃ちゃんの様子に特に異常がないことをご報告ってとこ」
「そうか。…よかった」
珀黎翔は軽くうなずいた。本来は浩大は夕鈴専属につけている護衛だ。だが今は弓の技術を高めるために浩大に弓を引く場面を見てもらうことが多かった。そのため日中の時間に浩大は夕鈴の護衛を外れ、珀黎翔の弓の稽古の相手をしている。
「しかし…相変わらずすごい集中力だよね」
浩大は視線を遠くにやる。
「はずしたのは2矢じゃん」
訓練された隠密の目は的の矢の微妙なはずれ具合を見て取っていた。
「もうこんなに根をつめて鍛錬しなくても大丈夫だと思うんだけれどな」
浩大は的から視線を珀黎翔へと戻す。
「少なくとも扇は射抜けるよ。それでいいんだろ?」
「2矢を射ることになるからな。一矢で扇を切り離し、空を舞う扇の的を射抜く」
しかしそれは今珀黎翔が練習している条件と同じではない。的のおかれた庭に降りて射るのではないのだ。儀式の時には回廊の上から庭に掲げられた的の扇を射抜くことになる。
「そうなるとさらに難しくなるからな」
珀黎翔は口元を引き結んだ。浩大もまたちらりと遠くの的を見た。





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