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「花散らす闇」初期再録集3(10月27日発行)に再録(初出は2011,3,18東京コミックシティ発行
珀黎翔×汀夕鈴
後宮から夕鈴が姿を消す
後を追い連れ戻させた珀黎翔は
自ら夕鈴に問いかける・・・

   *******

 ここは白陽国のはずれ。先代の王から代替わりした珀黎翔が納める国である。夏の盛りをすぎて日差しはあいかわらず照りつけてくるものの、木陰にはいるとずいぶんと涼しくなってきている。
 村の中の旅籠に夕鈴は泊まり込んでいた。王が代替わりの折り一時この国は乱れに乱れた。新しく王にたった珀黎翔のもと、汚職官僚の徹底した粛正と治水工事等の国内政策によって国の安定した統治を行った。このような辺境の地においても、珀黎翔の統治の成果は現れ、夕鈴のような少女の1人旅でも安心して続けられる。
とはいうものの女が一人旅をしていると目立つのだ。日が暮れる前に宿を探し、夕鈴は村の中の宿屋にその日の宿泊を決めた。
 外の日はまだ高い。荷物を置いて夕鈴は窓際に歩み寄った。この宿は村の中でも外れの方に位置している。夕鈴にとっては目立たないこと。それが一番大事なことだった。
 「今頃陛下は、どうしているかしら?」
 夕鈴は低くつぶやいた。
 夕鈴は珀黎翔の臨時花嫁である。珀黎翔のたった1人の妃として後宮に君臨しているのだが本物のお妃ではない。珀黎翔に降るように持ち込まれる縁談を断るために雇われた臨時花嫁である。一度は狼陛下の二つ名を持つ珀黎翔を恐れてこのバイトをやめようと考えていた夕鈴だった。だが珀黎翔が心の中に子犬のようなやさしい心を押し隠してこの国を守るために強くて怖い王を演じていることを知って珀黎翔のそばにいてその力になりたいと思った。そして珀黎翔もまた夕鈴と心を通わせていったのである。
 鬼の上司の李順は珀黎翔が夕鈴のことを気に入っているという状況に大変不安を感じてはいた。たった一人の妃に入れ込むようになるのは王の統治にとって不安材料にもなりうる。それは弱点でもあるからだ。だが、他ならぬ珀黎翔が夕鈴は手元に置きたいと願い、花嫁契約の解除に応じないため李順には為すすべもなかった。結局はずっと夕鈴を珀黎翔のたった1人の妃として遇することになったのである。
 本来なら後宮にいるはずの夕鈴が王都を離れ、辺境の村にいるのには理由があった。その理由は誰にも言えない。
 弟の青慎も夕鈴がここにいることを知らない。夕鈴の家族は夕鈴が王宮の下女として働いていると思っている。夕鈴が後宮からいなくなったことを知ったら珀黎翔はどうするだろう。
 驚き、怒って、夕鈴を探そうとするかもしれない。それを考えると夕鈴は弟に行き先をつけるわけにはいかなかった。同じ理由で幼なじみの几顎にこの逃亡を手助けしてもらうわけにもいかなかった。
 「怒っているかしら」
 夕鈴はつぶやいた。
 「何も言わないで出てきてしまったし」
 珀黎翔のことを思うだけで心の中が暖かくなる。おそれる気持ちはあったが、同時にこの孤高の王を強く思わずにはいられない気持ちも夕鈴の中に存在した。
 「それはもちろん怒っているよ」
 ふいに聞こえてきた声に夕鈴ははっと後ろを振り返った。
 「浩大」
 振り向いた夕鈴はわずかに目を見開いた。夕鈴の目の前には見なれた小柄な姿があった。珀黎翔の子飼いの隠密である浩大の姿だった。
 「どうして!」
 夕鈴は思わずたちすくんだまま声を上げた。
 誰にも知られないようにこっそりと後宮をでてきた。深く布をかぶって顔を見られないようにして、弟の青慎に書き置きさえ残さずにこの地へ逃れてきた。
 「それはお妃ちゃんがいなくなったからでしょ。探すのに結構苦労したんだよ?」
 浩大は黒くて大きな瞳を輝かせて夕鈴に答えた。
 「なんで逃げ出したりしたの?」
 浩大は面白そうに訪ねた。
 「陛下の元から逃げ出すなんてできるはずないのに。ああそれとももしかして陛下に何かされた?」
 からかうような浩大の言葉。
 「そんなことあるわけないわ」
 夕鈴は緩く首を振った。
 「それじゃ陛下と別れたくなったの?」
 「それもあるはずないじゃない」
 夕鈴は答えながら辺りを見回した。幾ら夕鈴でも浩大が現れたのがただ夕鈴の居場所を見つけるためだとは考えない。
 珀黎翔のもとに連れ戻されるのだと思う。それも当然だ。夕鈴は白陽国の国家機密を知っている。
 「浩大、私、陛下のこと誰にも言わないわ」
 夕鈴は両手を握り締めた。
 「誰にも言わないってどういうこと?」
 「だから、陛下の秘密は守るから」
 夕鈴はわずかに唇をかみしめた。
 「私のこと見逃して」
 「残念だけど」
 浩大はにっこりと笑った。
 「陛下があんたのことを逃すわけないだろ」
 「浩大!」
 「絶対に連れ帰れって言われているんだ」
 浩大はにっこりと笑った。その手の中からサラサラと白い粉がまかれたのに夕鈴は気が付いていなかった。ふいに目の前が揺らいでいるように思えて夕鈴は数歩後に下がった。とんと背中が壁にぶつかってそのままずるずると下へ滑り落ちる。
 「浩大お願い、陛下のところには連れ戻さないで」
 夕鈴は必死に顔をあげてささやいた。
 「何でなの、お妃ちゃん」
 不思議そうな浩大の声が聞こえた。それは不思議だろう。はたから見ていれば夕鈴と珀黎翔は本当に熱愛夫婦であり、裏の事情を知っていてもとても仲が良く思えたはずだった。
 「陛下とうまくやっていたじゃん」
 浩大の声が聞こえる。だがもう夕鈴には目の前が見えなくなっていた。手も足も力が抜けて逃げ出すどころか立ち上がることさえできない。
 「どうしよう」
 最後に脳裏をよぎったのはその言葉だった。
 「どうしよう」
 珀黎翔はきっと夕鈴に裏切られたと思っただろう。珀黎翔は何も知らないのだから。李順だって怒っているはずだ。夕鈴が無断で職場放棄をしたと思っている。
 でも違うのに。
 本当は珀黎翔のために後宮から逃げ出したのに。
 「お願い、浩大…私を陛下のところに連れて行かないで…」
 だが、それが夕鈴の限界だった。
 夕鈴はそのままくたくたと床の上に崩れ落ちてしまったのだった。

     ******

 白陽国王宮。狼陛下の二つ名を持つ珀黎翔は精力的に執務をこなすことで知られている。王の執務室に出仕し、王の様々な決済を目の当たりにするのは官僚たちにとってきわめて緊張感の強いられる時間ではあったが、同時にこの国がまさに変わっていく、それもいい方向へと変化していく様子を目の前で見、参加することでもあった。午前と午後の執務が終わった後、官僚たちを下がらせても珀黎翔が執務を続けるのは宮中ではよく見られる光景である。そのため珀黎翔が午後の執務が終わっても、王の居間に引き上げず、執務室にこもりきりになってもまだ執務が続いているのだろうと大方の侍官や女官は思っていた。
 「陛下、飲み物をお持ちしました」
 女官が入ってくる。いつもなら執務中に珀黎翔の身の回りの細々としたことをするのはたった一人の妃である夕鈴だけに許されたことであり、女官が持ってくるのは極めて異例なことだった。
 もちろん異例と言えば珀黎翔の身の回りの世話を女官ではなく妃が行う方が異例なのである。妃は後宮の花、王の目を楽しませるのが仕事であり、宴においてはきらびやかな衣装を身にまとって王の側に侍って賓客に王の権勢を見せつけるのも仕事の一つなのだ。それにも関わらず珀黎翔が夕鈴を寵愛し、執務室にも伴うだけではなく身の回りの細々としたことさえもすることを許しているのは夕鈴への寵愛の証と宮中では受け取られていた。
 今現在、夕鈴は里下がりしていると宮中では触れ回されている。いつもなら珀黎翔の飲み物を用意することは許されない女官が飲み物を運んできたのはそのためだった。
 「そこに置いたら呼ぶまでしばらく近づかないように」
 珀黎翔の声に女官はわずかに頬を染めた。若く何度となく戦場に出て勝利を収めてきた王である。細くさえ見える体にはためらわず長剣を振るうことができる強靱な力を秘め圧倒的な王としての支配力を見せつける珀黎翔は、王宮の女官たちにとっては恐れと同時にあこがれの対象でもあった。まして珀黎翔は美貌で知られた生母の血を濃く継いでいる。端正なその面差しは詩人をして珀黎翔を「地上に降りた神」と称えるほど整ったものだった。 
 「かしこまりました」
 女官は王の様々な気まぐれには慣れている。人払いを命じられたと悟って女官は深く頭を下げると外に出ていった。珀黎翔の言葉は女官から王に仕える侍官へと伝えられこの居間のあるあたり一帯は人払いされるだろう。
珀黎翔の人払いにも関わらず居間へ来ることを認められている者はごく少数だ。しばらく誰にもじゃまをされずに執務に励めるはずだった。
 せっかく運び込まれたお茶だったが、珀黎翔は一口も手をつけなかった。黙ったまま黙々と書簡を開いては決済を進めていく。
 しばらくして小さなノックの音が聞こえた。
 「……陛下、いま入ってもよろしいでしょうか?」
 「いいぞ、李順」
 その口調は狼陛下のものだった。珀黎翔は手を止め、李順が入ってくるのを待った。
 「どうだ?」
 「残念ながら夕鈴殿の行方はつかめません」
 李順は表情を読めない口調で答える。
 「後宮からは女官の服装で出ていったところまでは裏付けがとれています。夕鈴殿のご実家にも使いをやりましたが弟の方は夕鈴殿の行方を知らないようです。王都の城門を守る兵士にも尋ねさせましたが、女官が出ていった様子はありません。……よほどの覚悟で後宮を去られたのだとしか思えませんが」
 夕鈴が後宮から誰にも行く先を告げずに姿を消してすでに二日がすぎていた。後宮には珀黎翔が贈った様々な装飾品や服もすべて残されていた。そのおかげで夕鈴が里下がりしているという言い訳が後宮の女官たちに通用したが、何もかもを置いて行ったというあたりに夕鈴の並ならぬ覚悟を珀黎翔は感じていた。
 (どうしてだ、夕鈴)
 珀黎翔は心の中でつぶやいた。
 (どうして黙って僕の側を去るようなことを……)
 「一番なさそうでありそうなのは……例の王女との見合いの件を漏れ聞いて夕鈴殿がお怒りになったという可能性ですが」
 「それはないだろう」
 珀黎翔は即座に否定した。
 実は珀黎翔には縁談の話が持ち上がっている。正妃を持たないというのは諸外国にとっては独身と思われても仕方がないため、縁談の話が持ち込まれるのを完全にシャットアウトすることはできない。
 若く、美貌の珀黎翔はある意味年頃の王女や姫を持つ書外国においては大事な婚姻相手でもあるのだ。
 国内の縁談はおおむね退けることができたが、国外の縁談となると訳が違う。
 「あの件は夕鈴の耳に入る前にもみ消したはずだ」
 「一応は」
 李順はうなずいた。
 「この先はいかがなさいますか?、陛下」
 李順が珀黎翔の言葉を待っていることに気づき、珀黎翔は顔を上げた。
 「そちらは引き続き浩大に行方を追わせている」
 珀黎翔はつぶやいた。
 「あいつのことだ。おそらく夕鈴の行方をつかみ後を追っているはずだ」
 李順はわずかに頭を下げ、珀黎翔の言葉に同意した。
浩大は珀黎翔の配下にある隠密の中では極めて有能な一人である。珀黎翔直々に夕鈴の警護を命じられている。
これがもっと宮中が危機的状況にあるのなら、浩大はずっと夕鈴に張り付いていたはずだった。
だが、なまじ珀黎翔の統治のもと王宮内も落ち着いていたことが災いした。夕鈴のプライバシーを守るため、四六時中監視しているというわけにはいかない。
まして夕鈴が後宮を抜け出したのは日中だ。浩大の注意が幾分離れた時のことだった。それでも夕鈴がいなくなったという最初の一報をもたらしたのは浩大だったのだからよくやったと誉めてやるべきなのだろう。
 「夕鈴殿も女性の足ですし、王都を何らかの方法で抜け出したといっても遠くまで行くことはできますまい。交易の商人に紛れて移動することはためらうでしょう。あの幼なじみの男に頼るかあるいは自分の足で逃げるか」
 「夕鈴の性格から考えて几顎に頼ることはしないだろうな」
 珀黎翔の声のトーンが冷ややかになった。
 「私の怒りを買ったら幼なじみの男がどんな目に会うか少しは考えたはずだ」
 「……っ」
 反射的に李順が身震いした。その様子を見て自分が戦場の鬼神、冷酷非情と恐れられている狼陛下そのものになっていることに珀黎翔は気づいたが、己の本性を押し隠す気にはならなかった。
 「夕鈴のことは浩大にまかせよう」
 珀黎翔は李順を見つめた。
 「それで宮中の様子はどうだ」
 珀黎翔は李順に宮中の様子を調べるように命じていた。夕鈴が珀黎翔にも李順にも何も言わず出ていたのは何か理由があったはずだ。その理由が宮中にあることはまず間違いなく夕鈴を無事に後宮に連れ戻すためには夕鈴が出て行ったその原因を探らなければならない。
 「調査いたしました」
 李順はそう答えた。
 「しかし後宮でも宮中でも夕鈴殿に対する反発や反感は特に見られません」
 わずかに李順は眼鏡を持ち上げた。
 「もちろんいつもの自分の娘を後宮へという貴族の思惑はありますが、それは通常のこと。今回の要因にはなりえないかと。ただ一つ考えられるのはこの前の宴で夕鈴殿が貴族たちと話をしていたことに原因があるのではないかという点です」
 「この前の宴?」
 珀黎翔は首をかしげた。
 「ああ、あれか。しかし夕鈴も楽しそうに過ごしていたように思うが氾紅珠も同席していたし。一体何が原因だとお前は思っているんだ?」
 「あの場には氾大臣も同席していました」
 氾史晴が何かを言ったのだろうか。
氾史晴は珀黎翔が夕鈴のことを気に入っていると知っている。自分の娘である氾紅珠を後宮に入れたいならば夕鈴とうまくやっていかなければならない。それがわからぬ氾史晴ではないはずだ。
となれば氾史晴はその場の話を聞いていただけとなる。違うだろうか。
珀黎翔は頭をかしげた。口に出さない珀黎翔の疑問に李順はうなずいて答えた。
 「氾史晴が何かを夕鈴殿に言ったというわけではありません。その場に居合わせた貴族たちが夕鈴殿の身分についていろいろと口にしていたというようなことをにおわせていました」
 「身分?」
 珀黎翔は目をまたたいた。夕鈴は貴族の出ではない。だがそれはもともとそういう条件で臨時花嫁を雇ったのだから、それが夕鈴の無断外出の理由になるとは思えなかった。
 「氾大臣はその場に居合わせた貴族たちをたしなめたようです。しかし夕鈴殿の様子が幾分沈んだようだったと言っていました」
 「まさか夕鈴は身分のことを気にしていたというのか」
珀黎翔のつぶやきに李順はうなずいた。
 「もしも自分が身を引けば新しい臨時花嫁を雇い、その臨時花嫁に雇われた女性が貴族の身分を持っていれば陛下にとって良いと思われたのでしょう。陛下が悪し様に言われることはないと思われたのではないでしょうか」
 「バカなことを」
 珀黎翔はつぶやいた。
 「夕鈴が気にすることなど何もないのに。まして新しい臨時花嫁を雇うことなんて考えてもいない」
 「全くもってその通りです、陛下」
 李順はうなずいた。新しい女性を臨時花嫁として雇うのはある意味冒険であると李順にはわかっていた。秘密が漏れる可能性が高くなる。夕鈴をもともと雇ったあの時はある意味追い詰められていたのだ。
今にして思えば、夕鈴の人柄が信頼のおけるものでよかった。夕鈴は珀黎翔の秘密を知っている。その気になれば珀黎翔を脅し、金品を或いは本物のお妃の身分を得ようとすることもあり得るのだ。だが夕鈴は臨時花嫁の職務に努め本物の花嫁になりたいという様子を見せたこともない。
 「そこが本当に夕鈴らしいんだけど」
 珀黎翔がそうつぶやいた時、不意に目の前に黒い小柄な姿が現れた。
 「浩大!」
 李順がわずかに眉を潜める。人払いをした珀黎翔の執務室に入ってこられるのは李順か夕鈴そして元から断る必要もない隠密の浩大である。
 「いつも言っていることだが浩大」
 李順に代わって珀黎翔は浩大に視線を向けた。
 「気配を殺して近づくな」
 「わかっていますよ、陛下」
 そう答えて浩大はうなずいて見せた。
 「それでさ、お妃ちゃん見つけたんだけれど」
 「……っ!。そうか」
 声が弾むのを珀黎翔は押さえきれなかった。



「花散らす闇」初期再録集3に(10月27日発行)に再録(初出は2011,3,18東京コミックシティ発行
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