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「甘い秘密」初期再録集1に再録(初出は2010,10,10東京コミックシティ発行
こちら2013,8,18に再版予定です A5 P210 の厚くて重い本です
珀黎翔×汀夕鈴
夕鈴が倒れた!毒か、それとも…
こりもせぬ妃への攻撃に怒りを露わにする珀黎翔。しかし事態は思わぬ方向へ・・・
甘い秘密
    *********

  部屋の外で走る足音が聞こえる。
 「侍医を早く!」
 その叫びは白陽国の後宮で仕える女官のものだった。
 「陛下をお呼びして……!」
 張りつめた叫び。
 「陛下に直接お目にかかり直ちにお越しいただきなさい。ほかの者に様子を気取られてはなりません」
 「誰か、気付の薬湯を……」
 「いけません。何が起こったのかわからないのに」
 走りすぎる足音。
 「お妃様、お気を確かに!」
 耳元で叫ぶのは夕鈴付きの女官の声だった。
 「ああ、こんなに体温が上がって……」
 「下がりなさい。夕鈴様のお具合に関わります」
 誰かの気配。
 「外で騒ぎ立てないように」
 その言葉でようやくあたりが幾分静かになった。
 「お妃様」
 たぶんその声は女官長のものだろう。
 先ほど部屋の外で珀黎翔を呼ぶよう命じていたのは女官長だったように思う。
 「……っ……」
 荒い呼吸に胸を上下させながら夕鈴は目を瞬いた。
 「……私の声が聞こえますか?」
 女官長も焦っているのがわかる。さすがにこういう場面はそうそうないだろう。
 数度目を瞬くうちにあたりの様子がわかった。夕鈴は後宮の寝室に寝かされていた。
 (私……いったいどうしたの……?)
 呆然と記憶を探る。
 すごく体が熱い。動悸がする。何が起こったのか思い出せない。
 「夕鈴様」
 夕鈴が返事をしなかったので、女官長の表情がさらに緊迫したものとなった。
 「まだ陛下はお越しにならないの!」
 女官長の声に誰かが答える。女官長は声を強めた。
 「陛下をお迎えに誰か行きなさい!。侍医はまだ到着しないの!」
 「ただいますぐに侍医の方にも誰か行かせます」
 その声を聞きながら夕鈴は手を持ち上げようとする。手はわずかに動いただけだったが、女官長はすぐに気づいて身を屈めた。
 「夕鈴様?」
 そっと女官長がささやく。
 「意識が戻られましたか?」
 「……っ……」
 夕鈴はかろうじて首を振った。ほっとした様子をみせ、しかし女官長はすぐに表情を引き締める。
 「声は……出ますか?」
 「…………っ……」
 声は出ない。話せそうではあるけれども、動悸が激しくて胸が苦しい。
 「どこか痛みますか?」
 「…………」
 夕鈴は首を振る。痛むわけではなくて体が熱いのだ。
 「もう陛下を呼びにやらせました。すぐにもお渡りになるでしょう。侍医もまもなく到着するはずです。お気を強く持って……」
 「女官長……!」
 駆け込んできた女官が言う。
 「陛下がお越しくださいました!」
 その女官の先導を押し退けるようにして珀黎翔が部屋に踏み込んでくる。執務中だったことがわかる王の執務服に身を包み、腰に剣を携えたままだ。
 「……陛下」
 女官長が身をひいて夕鈴の側を譲った。
 「……夕鈴」
 珀黎翔が身を屈め、夕鈴の手を握りしめる。
 「……陛……下……」
 それだけを言うのが精一杯だった。
 力尽きる思いで夕鈴は目を閉じる。
 「陛下。よろしければお妃様を拝見させていただきたく」
 声をかけたのは王宮付きの侍医らしい。
 「わかった」
 言葉とともに夕鈴の手を握ったまま珀黎翔は少し夕鈴の頭の側へと身を移した。
 「我が最愛の妃だ。頼む」
 「お任せください」
 脈を取り始めた侍医に視線を向け、そして珀黎翔は顔を上げた。
 「いったい何が起こったのか」
 そう。それは目を閉じたままの夕鈴も知りたいことだった。
記憶は混濁している。何が起こったのか思い出せない。
夕鈴にとって一番最近の記憶は自分が寝台に横たわり、部屋の外を行き交う女官たちの叫び声だ。
 「私どももよくわかっておりませんが」
 女官長は声を潜めた。
 「側付きの女官の言葉では、お妃様が午後のお茶を飲まれてしばらくして倒れられたとか」
 「お茶……?。毒味はどうした」
 うつつに聴いていてさえ珀黎翔の声が冷たくなった。反射的に女官長の声がこわばる。
 「夕鈴様の口に入るものはすべて毒味がいるはずですが……」
 「確認がとれていないのか。失態だな」
 叱りつけるわけではないが、その声の冷ややかさに夕鈴は何とか目を開けて珀黎翔を見ようとした。
 「陛下」
 珀黎翔の怒りを鎮めたのは男の声だった。
 「李順か」
 珀黎翔が振り返ったようだ。
 「毒味の件は確かめてまいりましたが」
 聞こえてきたのは李順の声だった。
 「毒味の者に異常は起こっておりません。だが……飲み物に何らかの毒物が混入されたのは間違いないようです」
 すでに夕鈴が口を付けたお茶は運び出され老師のもとで調べるよう手配していると告げる。
 「いいだろう」
 珀黎翔が夕鈴を見下ろした。
 「嘗めた真似をしてくれる」
 その珀黎翔の声はぞくぞくとするほどの響きを帯びていた。
 「ただちに後宮を閉鎖せよ。すでに女官長から一報をもらった時点で後宮の出入り口には兵を立たせている。女官たちは一時全員を後宮の別棟へ。出入りを調べ誰か後宮を出て戻らぬ者がいないか調査せよ」
 「かしこまりました」
 李順が一礼する。
 「お妃様の部屋の周りは親衛隊の者に護衛させましょう。柳方淵を指揮にたてます。陛下はこちらでお妃様に付き添われますか?」
 それは表向きの伺いだろう。
 夕鈴が本物の妃であればその側についている方が自然だ。でも珀黎翔は忙しい身。何より国王が後宮でずっと妃についているなど聞いたこともない。
 ぼんやりとそう夕鈴が考えていると珀黎翔の声が降ってくる。
 「我が最愛の妃についていたいな」
 「陛下」
 李順が遮る。
 「お妃様に何らかの薬が盛られたのは間違いないにせよ、少なくともすぐに生死を争うような毒物ではない様子。これはお妃様に対する警告で、死なせるつもりはなかったとも考えられます。……この場は侍医にお任せくださる方がよろしいかと」
 「わかっている……犯人を捕らえた方が夕鈴の身を守ることになるだろうな。こんな馬鹿な真似をすれば生きては入られぬと思い知らせる」
 「陛下」
 不意に声があがる。聞き慣れないその声は夕鈴を診察している侍医のものだった。
 「どうした?」
 珀黎翔の問いに侍医は低く答えた。
 「確かに李順殿のおっしゃるとおり、これは毒を盛られたという症状ではないように思われます。犯人を捕らえましたなら、薬物について自白させていただきたい。おそらく薬物を投与されたのは間違いないところですが内容がはっきりしなければ治療も手探りになり、解毒剤も手配できません」
 「わかった。……早急に片を付ける。それまでなんとしても妃を頼む」
 その声に潜む沈痛な色。このまま行かせてはいけない気がして夕鈴は数度目を瞬いた。
 わずかに目の焦点があい、珀黎翔のまなざしが夕鈴に向けられているのを感じ取る。
 「……陛下……」
 夕鈴は手を伸ばした。
 行ってしまうのは当然。夕鈴は偽物のお妃なのだから。それを心細くは思わないけれど、そんな悲しそうなそして怒りを秘めた目をしないで。
 「案ずるな」
 そっと力のない夕鈴の手を握り返して珀黎翔はささやいた。
 「この後宮で我が最愛の妃に仇をなそうなどけっして許せぬ。すぐにも犯人を捕らえて戻ってくる」
 「…………」
 確かに侍医の言うとおりだと思う。症状は落ち着いてきていた。体は熱い。くらくらする。どこか熱に浮かされているような情動。
 だが、死ぬような感じはしない。
 だから珀黎翔の判断は正しいとわかっている。
 でも側にいて。いかないで。
 一人にしないで。
 そう思ったけれども、夕鈴にはそれを言葉にする余裕はなかった。
 言葉にする余裕がなくてよかったのかもしれない。珀黎翔の足手まといにはなりたくない。
 側にいて欲しいと願う自分の弱さが悔しい。
 夕鈴は熱い体と高まる鼓動を持て余しながら目を閉じたのだった。




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